新暦11月19日
いつも真心のお力添えありがとうございます
本日は、11月 3日、午後3時祈り合わせの動画と放送内容の書起し
を掲載させていただきます。
本日は、移動しておりますので、時間に狂うことなく到着出来ましたら配信します。
もし、3時の祈り合わせの動画配信がなくとも祈りはしておりますので、
共に祈りいただけますようお願い致します
11月 3日(画像をクリック)

(以下、「伝えられた言葉」書き起こし)
万全を期していたとしても
やはり 罹りゆく者は罹り 失いゆく者は 失いいってしまうものでもある
しかしながら それであったとしても きちんと 防ぐための対処対応法は 必要不可欠であり
それを 軽んじてもならない
無論 神経質になり過ぎろということではない
しかしながら 自らの健康を保ちゆくための 支え 行い 気配りは 必要なものであろう
それをしっかりと 行いゆくことによって
広まり続けゆこうとする 災いの種 感染症 伝染病 撒き散らされようとするもの
これらから身を防ぐことは 叶うものであるのだ
自らの身を 自らの身を 自らで守ることが出来るように
しっかりと 意識を持って この日常 この中に 自然界の中に生きているとゆうことを
忘れることなく 生きゆくがよい
人は 人の社会であったとしても それでも 自然の中に生きているのである
文明の社会に あったとしても それでも そこは 自然界の中の 一部分なのである
自然界とは 全てが 森であったり 海であったり 野であったり 川であったり
人の手が全く入っていないことを 自然界とゆうのではない
この地球こそが 自然界であり 生きとし生けるものと共にいるこの世こそが
自然界の中に住んでいるのである
地球上にあるもの 生きとし生けるもの全ては 自然界であり
その中に人間は 自分達の暮らしのいいように 自然界を変えて 生きているのである
しかしながら 人間界とゆっても 人間の世であるとゆっても
それでも 自然界の中の一部を 改築して 開拓 改良してきていることには 変わらないのである
人間の世界にいるからと言って 自然に脅かされることがない とゆう事ではないのだ
自然の中にある それを忘れてはいけない
自然と共に生きているとゆうこともまた 遠のいてはならない
皆が 野に帰り 山に帰り 水に帰り 戯れゆくのは
自分達が自然界の中に生きているとゆうことを 再び勇気が思い出すためである
魂が 思い出すためである
癒されるとゆうのは そうゆう事であろう
自分達が一体 どこに生きているのかを 再び思い起こすことが 癒されているとゆうことではないのか
自然界の中にいることを 忘れてはならない
命ありし者であるとゆうことを 忘れてはならない
いつも真心のお力添えありがとうございます
本日は、11月 3日、午後3時祈り合わせの動画と放送内容の書起し
を掲載させていただきます。
本日は、移動しておりますので、時間に狂うことなく到着出来ましたら配信します。
もし、3時の祈り合わせの動画配信がなくとも祈りはしておりますので、
共に祈りいただけますようお願い致します
こころのかけはし事務局
11月 3日(画像をクリック)

(以下、「伝えられた言葉」書き起こし)
万全を期していたとしても
やはり 罹りゆく者は罹り 失いゆく者は 失いいってしまうものでもある
しかしながら それであったとしても きちんと 防ぐための対処対応法は 必要不可欠であり
それを 軽んじてもならない
無論 神経質になり過ぎろということではない
しかしながら 自らの健康を保ちゆくための 支え 行い 気配りは 必要なものであろう
それをしっかりと 行いゆくことによって
広まり続けゆこうとする 災いの種 感染症 伝染病 撒き散らされようとするもの
これらから身を防ぐことは 叶うものであるのだ
自らの身を 自らの身を 自らで守ることが出来るように
しっかりと 意識を持って この日常 この中に 自然界の中に生きているとゆうことを
忘れることなく 生きゆくがよい
人は 人の社会であったとしても それでも 自然の中に生きているのである
文明の社会に あったとしても それでも そこは 自然界の中の 一部分なのである
自然界とは 全てが 森であったり 海であったり 野であったり 川であったり
人の手が全く入っていないことを 自然界とゆうのではない
この地球こそが 自然界であり 生きとし生けるものと共にいるこの世こそが
自然界の中に住んでいるのである
地球上にあるもの 生きとし生けるもの全ては 自然界であり
その中に人間は 自分達の暮らしのいいように 自然界を変えて 生きているのである
しかしながら 人間界とゆっても 人間の世であるとゆっても
それでも 自然界の中の一部を 改築して 開拓 改良してきていることには 変わらないのである
人間の世界にいるからと言って 自然に脅かされることがない とゆう事ではないのだ
自然の中にある それを忘れてはいけない
自然と共に生きているとゆうこともまた 遠のいてはならない
皆が 野に帰り 山に帰り 水に帰り 戯れゆくのは
自分達が自然界の中に生きているとゆうことを 再び勇気が思い出すためである
魂が 思い出すためである
癒されるとゆうのは そうゆう事であろう
自分達が一体 どこに生きているのかを 再び思い起こすことが 癒されているとゆうことではないのか
自然界の中にいることを 忘れてはならない
命ありし者であるとゆうことを 忘れてはならない