13日からの長白山巡礼について(決意表明) [ 比嘉良丸さんより ]
☆比嘉良丸さんからのメッセージ☆

今回の新潟県地震による柏原子力発電所の事故、前回の石川県能登半島の地震を受けて、私は改めてお役目というものを思い知らされた。

前回の石川県能登半島の地震は大難が小難になったといえるだろうか。
原子力発電所の臨界事故は起きず、多くの方々に原子力発電所や原子力施設の事を考える機会を与えたといえるかもしれない。

しかし今回の新潟県柏原子力発電所事故や地震でも、私は石川県能登の地震も新潟県柏原子力発電所事故や地震も、大難が小難になったと素直に思えない。

私は、今回の地震事故で大きな気づきをあたえたとは思えない。いや、思ってはいけない。

私はけして良い人間ではない。人としても男としても欠点だらけの私を神がなぜお使いくださるかは、神にしか知る由も無いが、私が実際に経験したこと、神に使える母親の神事に触れたこと、病気の人の命の重み、死、人の心の裏表、いろんな事を経験した上で改めて一人の命も幾千万も同じだと私は言い切ります。

私たちのようなものは、命も人生も神に神事に捧げます。
それはけして、ただ神の言いなりということでは無い。神の言う事を受け止めて、全てをかけて御神事をします。
だからこそ毎日御神事に明け暮れています。

又、神様に意見するのも、お詫び、感謝、願いをするもの私の役目と思っています。
時にあまり神の言う事きかずに、いきなり解因不明の痛みや病気で何ヶ月入院をしたりしましたが。

今回のような災害と事故では数十人の命失われ、あのような突発的な地震での事故ですから、原子力発電所の職員が放射能に汚染された方々も要るかも知れません。
もし被害あわれた方々が自分の愛する人だったら? 自分妻か夫、息子か娘、父親か母親だったら?
いい気づきになったと言えますか? 災害や事故か起こってまで気づきはいりません。

もし事故が起こって気づきがあるなら、もう気づきを得るだけの災害や事故は今までに既に起きて要るはずです。
近年では、茨城県の東海村の臨界事故や神戸大震災など。
又この国は62年前に放射能の恐ろしさは知っています。
過去に実際の出来事に学ばずに、何に学ぶのですか?

結果が良ければ良いと言う考え方は、私は本当に怖いと思っています。
事故という結果が出るまでは、何が起きても良い。それは時として人が死んも良いと言う事になります。
新潟県柏原子力発電所事故の後、「気づきがない」と気づきを与えるために、地震と原子力発電所で事故を起こすと神の啓示あったという連絡がありました。もし神様が起こすと言うならば、私は神様に噛みついてでも、やめるよう願います。
気づきがないと、次はもう少し大きく起これば次はきっと気づきがある、というのでは、いずれは取り返しのつかないことになる。
また今世紀は地殻変動紀で世界規模で意識の気づきが求められる時代を迎え、全ての人類に意識の変革が起これば良いのですが、この世の中を一気に変えるほどの気づきは残念ながら難しいでしょう。

しかしこれから、未来を作ることは出来る。けして夢物語ではなく、現実に出来る。大切なのは人材育成と子育てです。
又見本を作る事、多く方々が地球に時間が無いと言います。だからこそ確実に出来ることから始めましょう。

広島県二葉山で仏舎利塔・平和記念公園及び長崎県金毘羅山大山祇神社・平和記念公園での御神事で、改めてビジョンを確認をする。
私は 今年関東を始めとして、3月に石川県の地震、4月に宮古島、八重山の津波、とかいろんなビジョンを見て、 できれば大難が小難に、無難にと願って、御神事を行っています。

1月~2月に、石川県から新潟県福井県、岡山県から広島県、2月~4月にかけ宮古島諸島から八重山諸島与那国島、奄美大島、本島周辺の島々、4月~5月は東京都、千葉県、茨城県、福島県、神奈川県、静岡県、長野県、群馬県、5月~6月は、日本全国にある原子力発電所及び一部の原子力施設での御神事を行いました。

静岡県浜岡原子力発電所、茨城県東海第二原子力発電所及び原子力施設、福島県福島第一と福島第二原子力発電所、宮城県女川原子力発電所、青森県東通原子力発電所、六ヶ所村、北海道泊原子力発電所、茨城県の東海第二原子力発電所及び一部の原子力施設、静岡県の浜岡原子力発電所、島根県島根原子力施
設、佐賀県玄海原子力発電所、鹿児島県川内原子力発電所、愛媛県伊方原子力発電所と廻りました。7月は富士山の山頂で御神事、8月は改めて富士山六合目の宝永山と周辺、富士川河口、浜岡原子力発電所にて御神事。

そして当初は愛媛県の石鎚山に登る予定を神戸の肝川龍神・大国宮本部に変更。
その大国宮本部の主管は46前年に私の母が皇室にて招かれ御神事行った後、当時アメリカ国の統治下にあった旧琉球の祖国復帰の御神事神を行った方の御子息にあたり、私には深い意味がありました。

続けて神呪寺と、その周辺の巨石山。広島県の二葉山の仏舎利塔で8月6日朝~7日朝まで、御神事を行って、その後、9日に長崎県原爆の日に平和を祈り、宮崎県の高千穂・阿蘇山で御神事を行いました。

13日よりお隣りの国に渡り、中国と北朝鮮の国境になる長白山(白頭山)、18日に帰国・福岡に戻った後、改めて宮崎県の高千穂と島根県出雲大社と周辺、そして北関東に上がります。

今のところ沖縄に帰る日程は、まだ決めかねています。

私は見たビジョンが現実に起こらないために祈ります。いや起こさない、と言ってもいい。
言い換えれば、例え99パーセント起こるとしても、残り1パーセントに全てのものをつぎ込んででも、大難だけは防ぐ思いで御神事を行っていきます。

私は、8月中に、宮城県沖か伊豆七島周辺で海底火山の爆発で、茨城県の東海第二原子力発電所が、旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所の臨界事故規模の事故が起きるをビジョンを見て、危機を感じて、必死で御神事行っていますが、あまりにも沢山の啓示とビジョンがある。

地球規模の地殻変動により日本列島が七つの諸島に分断され、沖縄が大きな大陸になる。
又地殻変動で起こる大災害(自然災害・人災)による、食料危機・政治経済の崩壊・宗教争いから起きる世界大戦(核戦争)など、ネガティブなビジョン見ます。

しかしそのビジョンは、現実に起こりえる事です。けしてすべて妄想ではありません。

この国、日本列島は4つプレート(フリピンプレート・大平洋プレート・北米プレート・ユーラシアプレート)、そしてカムチャツカ半島から台湾、フリッピンまでの南北のびる火山帯の上にあることを考えれば、何時何処で、大地震や大噴火が起きても当たり前ということ。
それに伴い化学工場や原子力発電所や施設などの大事故や臨界事故が起きることは妄想ではありません。
この国に化学工場や原子力発電所や原子力施設があれば、大事故や臨界事故は起こりえる。
自然災害や人為的ミスなどによる人災が起きることを、けして否定できない。

私にとって祈りは、お詫び、感謝、願いです。
自然界に、神界に、霊界(祖先)に、 人に、祈ります。
そうすることにより、陽の働きそして陰の働きにより、自然のうちに心が寛大になり、気づきを得て行動に移すことができます。

私には、多く方々が言うアセンションやフォトンベルトというもの意味がどんな事かははっきりとはわかりませんが、私は私になりにビジョンを見ています。

地球規模で自然界で地殻変動が起きる。
それに伴い、化学工場や原子力施設など大事故や臨界事故、自然環境の大きな変化に食料不足、貧困、政治・経済の崩壊、
治安悪化・・・。最悪は、第三次世界大戦、という具合に、毎日起きている時も寝ていても見ています。
日本国、日本列島は七つの諸島になり、沖縄が大きな大陸になるビジョンを見ています。

今の沖縄は、7回浮き沈みをして、7回目の沈んだ状態と教えられています。
私の啓示でも、2013年あたりに大きな事が始まると教えられていますが、それと別に頂いているお役目もあります。
そのお役目として、先延ばしが出来るという事も教えられています。

細かい意味はおいておいて、いずれにしても、今の世の中は「七世の仕組み」です。
大まかに言うと、経済社会のゆとりや豊かさ、幸せなどを図る対象が物やお金であります。
それに対して次代は、「八世の仕組み」です。
それはゆとりや豊かさ、幸せは心であり、日々の暮らし、生活の中に足元に全てのがある。
その「八世の仕組み」を作ることを出来るのは、日本人であると教えられています。

それは、精神世界、祈りの世界だけでは出来ない。現実に人が動いてこそ出来る。
それは自然界、神界霊界、そして人が結ばれて成し得るのです。

しかし現実問題として、全ての人が気づきを得て世の中を変えることを望んだとしても、無理に等しいが、気づきを得ている人が本気で動いて、人材を育てていくべきです。
子供の教育を国に任すのではなく、自らの地域全体で行う。
本当に子供は未来の宝であり世の中の宝であり未来の作りてであり、世の中の作り手である事、あらゆる事を想定しての人材育成を計り、未来の社会の見本を作り、未来を託す。

神は人間に未来を託している。

だからこそ、私は御神事で、本当に今起ころうしていることが、出来るだけ先延ばしされるよう、自然界の神に神界の神に、霊界の御霊に祖先に人に、願い祈ります。
私の御神事に対していろんな意見をする方々がいても、いろんな考え方があっても良いです。
私は私自身の御神事を変えることはしません。
神に願い祈りをするにあたって、自らその場所で心と肉体それに時間を使い祈りを願いをお詫びを感謝をします。
99パーセント無理だとしてもけしてあきらめはしない。

一人の命も幾千万の命も、同じ命の重みとして、自然界の神に神界の神に向けて、無理な願いだとしても願い祈ります。

例え神に楯突いたとしても、私のような人間を、男としてもけして良いといえない人間を、神はお使い下さる。
そこまでしてお使いくださるならば又、人として、神の言いつけは、人生全てを賭け、時として自分自身の命をかけて御神事を行います。

自分自身が納得いくまでは、首を縦にふるとはしない。
時として神に噛みついて原因不明の病気で何ヶ月も入院した事あります。
常に未来のビジョンを見て感じて私に出来る事をします。

私は神様が人間を見放したりはけしてしない。
神々は、人々の行いにより世作りをなされる。創造なされる。神は、人の心を肉体を持ってお使いなされる。
人間は神の写し鏡であり、人の心は神の思いでもあると思っています。

もし神が人を裁くのであれば、それは私のような神を名を使い御神事や精神世界で生きる人間でしょう。
私のような精神世界の人の過ちは、即世の中に反映されるからです。次に政治経済の方々でしょう。

私は、私に出来る事を命のあるかぎりやり続けます。
未来を次の世代につなぎ、いずれ真のみろく世が出来る事信じて。

比嘉良丸

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最終更新日 2007年08月13日 00時13分33秒