いつもお力添えありがとうございます。
遅くなりましたが、先月2月にインドに行きました際のご報告をお伝えさせていただきます。
1月29日に日本を出国しドバイ経由にて1月30日の夕方にインドに到着しました。
片道11時間、早朝にドバイに着き、インドまでの飛行機への待ち時間が、6時間。空港から外には出られませんでしたが、高いビルの立ち並ぶ風景を目にしました。また、早朝、お祈りの時間になると空港全体に祈りの言葉の放送が流れていました。
このインドの長老会議ですが、3年に1度、インド国内を東西南北と廻り開催している会議で、以前、2012年にも私はご招待していただきました。(この会議での御縁で、2012年にキルギスへと行く事が出来ました)
今回は、マイソールという南部のアシュラムと言われる敷地内で開催されました。
この会議は、様々な民族の祈りをおこなう人や少数民族の言語や風習を研究している人、少数民族の現状など発表を行う場になっています。
私は、祈りを行う者として参加しました。
渡航前、インドで起きた事件などのニュースもありましたが、到着したインドの空港内にこの会議のインフォメーションデスクが置かれており、今回は問題なく、現地のスタッフと合流する事が出来ました。
夕方の到着でしたので、その日は、車で、2時間位の宿に宿泊が用意されていました。
翌1月31日。この日の朝は、そのホテルに泊まっている会議参加者の皆さんとバスで移動になりました。会場までは、車で、約4時間程だったと思います。
観光バス2台に長老達と乗車し、途中休憩を交えながら、現地マイソールの町へ行きました。
今回の南部は、車窓から見える景色が、緑り豊かなのが目立ちました。かなり乾燥していたのですが、畑には、サトウキビ、稲作、養蚕、ココナッツ畑と様々な農業が営まれており、特に養蚕の産地の為、民族衣装のサリーを着ている人が、他の地域と比べると多いという事を教えていただきました。後で目にした婦人警官の制服もサリーでした。
到着後、王様の宮殿を長老達にお見せするとの事で、バスから降り、そのまま、小さなバスに乗り換え、更に移動しました。
閉館時間を延長していたようで、足早に中を見て回り、外に出ると、そのまま広場で歓迎の式典になりました。
警察の楽団が演奏して、開会式でこの式典の間だけ、王宮をライトアップされました。
さて、2月1日、昨晩訪れた宮殿近くにある町をパレードするという事で、徒歩で約1km(もっとあったように感じましたが)インドの町を長老達と会議の参加者で歩きました。町の人達は、皆、花びらを撒いたり、子供達は歌を歌ったりと賑やかなものとなりました。エリザベスグランマと一緒にマリアさんも来ており、そして、聖なる杖の次の持ち主のロシェルさんと聖なる杖も来て、一緒に歩きました。
前回のハリドワールでの会議は、会場の敷地内を歩いただけでしたので、現地を感じる事が出来ました。
午後は、長老達の挨拶という事で、簡単でいいから2~3分ぐらいの挨拶をするように順番は20番目と言われ、壇上に参加の総勢23名の長老達と一緒に席に着かせていただけました。
この時、エリザベスグランマの提案で、グランマが祈りをする際に、いつも私が祈りで歌っている歌を歌って欲しいと言われました。マヤの祈りに合わせさせていただけるのは、とても光栄でしたので、一緒に祈りをさせていただきました。
(その後、長老達の自己紹介は段々と長くなり、番号が最後の方の人は、時間切れになってしまい、名前と国だけ言うようにという事を言われてしまいました。私は、エリザベスグランマと一緒に祈りをしましたので、飛ばされる事になったのですが、(そうでもしないと終わらない状況でした)焦った状態では何もできなかったので、祈りが出来て有りがたいと思いました)
この会は、会議の為、あちらこちらの教室で、それぞれの方々のレポート発表があります。
学校の時間割のような感じです。長老として呼んでいただいておりますので、前回参加されている方等のレポート時間には伺いました。よく英語が解らないので(中にはスペイン語の方もいましたが)詳しくは分からないのですが、プロジェクターでの資料を説明しているので、何となくこんな感じではないかと伺ってきました。
民族に伝わる儀式や伝承、言語や民族衣装など様々な講義がされていました。
毎朝、だいたい2か国の民族の方達の祈りが行われました。前回と違う国の方達も来られていましたので、今回私はこの会で朝の祈りを行う事は出来ませんでしたが、2月1日の朝、エリザベスグランマと共にマヤの祈りを行いました。この祈りの中で東側の担当しまして、聖なる杖と一緒に祈りをさせていただきました。
2月2日、女性だけで祈りを行うということが決まり、聖なる杖と共に輪になり、世界の平和の祈りを行いました。インドの女性やイラクの女性、アメリカのナバホの女性、ドイツ、台湾など様々な国の女性達で祈りを行いました。私は、聖なる杖を持つように言われまして、以前日本でも行ったように、杖を持って参加者一人一人順番に回り、祝福が来るようにという祈りを行いました。
2月3日、この日の夜。メインの会場で民族の歌を歌うという事が突然決まったようで(プログラムには、詳細は書かれていませんでした)主催者の方から「りか、何か日本の歌を歌いなさい」と言われました。
丁度、祈り合わせの日ですし、満月です。しっかりと祈りが出来る。数ヵ国の方達が行うので、一人の持ち時間は、5分ぐらいと言われましたが、祈りを歌に乗せて行う事が出来る。そう思い壇上に上がりました。
たまたま、この会にレポート発表で参加されていた日本人の方に、大まかな歌の意味となぜこの歌なのかという事を訳して、話していただく事もでき、会場の方々も心を合わせ、命の循環の祈りとして、いつも歌います、水甕の歌を、命の祈りとして、八重山の歌で月の歌を命の循環、生命の循環の祈りとして、そして沖縄の子守唄を命の誕生、命の繋ぎの祈りとして歌いました。
2月4日、私達は、インドを発つ日でした。2月6日は御宮の大祭、節分祭の日なので、この日に沖縄にいるようにするには、2月4日のお昼には会場を出発し、4~5時間車で移動しインドのバンガロール空港に戻り、手続きをしなければいけませんでした。
朝食後、帰国するという事で御挨拶に回りました。そして、この会議の日程中ずっとインタビューをさせて欲しいとコロンビアの方からお願いされておりましたので、その方達からの質問と祈りをさせていただきました。
お昼頃、主催者の方や色々と手配してくださっていた方々に挨拶をして、呼んでいただいたタクシーに乗って、空港へ戻り、再び、ドバイ経由で日本に戻りました。
今回は、会場の外に出る事は出来ず、歩いて2分ぐらいの宿と、会場の行き来だけになりました。
前回の会場は、大学の敷地内だったのか、学生さんが多く、ボランティアも学生さんだったのに比べると、今回は、宗教的な事もあるのかもしれませんが(信者の方達の住んでいる場所なのだと思います)とても親切で世話好きな方が多く、迷っていたり困っているとすぐに助けてくれました。
ヒマラヤからは遥か遠い場所ではありましたが、前回と今回で北部と南部を結ぶ事もでき、また、多くの方々と共にいる場所にて調和の祈り、命の循環の祈りもする事が出来ました。
支えて下さっている皆様のお蔭で、海外のこのように大きな場所で祈る事が出来ました。
本当にありがとうございました。
大変遅くなり簡単でありますが、インドの御神事の報告とさせていただきます。
深く感謝いたしております。ありがとうございました。
比嘉りか
※あまり写真が取れなかったのですが、主催者側で撮っていた物があり、少し掲載致します。
また、最後の祈りの際に伝えられました言葉を掲載いたします。
*祈りの際に伝えられました言葉*
近付く者達は 大切なものを 護ろうとしゆく
決して それは 悪しき事ではない
しかしながら それは あまりにも
強く 強く 強すぎると 今度は
攻撃へと 変わりゆく
それには 気を付けなければならない
人々は 護ることが出来る
そして 共に 共存し行く事が出来る
支え合う事が 出来る
人々も また そして 自然とも 出来行く
決して それは 忘れては ならない
多くの 生きとし生けるもの達と共に
支え合い生きてゆくという事は
人々と共に 支え合いながら 生きて行くということ
そして それは 人々も共に 支え合いながら 生きてゆくという事である
決して 忘れてはならない
また それは 気付いた者から 忘れないように 努めてゆかなければならない
それは 忘れてゆく者へと 忘れた事を 思い出させるように
種を 撒き行く事が出来るからである
一歩 また 一歩と 忘れずに 歩み行く その姿は
一粒一粒の種を その足元に落として行く事になりゆく
後から来た者が 必ず 気付くであろう
後から来た者が 必ず 見つけるであろう
その為にも 決して見失うことなく
気付いた者から 安心と 安定の為に 未来の為に
繋ぎ続け行く 命達の為に
しっかりと 心を そして その勇気を 信頼を 信じ
歩み行かれよ
世界は 繋がりゆく
おのずと 必ず また 同じもの達と 出会い行く
決して 一人ではない
必ずどこかに同じ思いを持ちゆく者が必ずいる
その者達と 繋がりゆかれよ
そして 歩み行かれよ
大切なる道程は まだまだ 先にある
その為にも しっかりと 骨組みを 作ってゆかなければならない
大切な事である
気付いた者から 進み行かれよ
初日>
![ヤシの木がたくさんありました]()
町の中を行進>
![マイソールの警察]()
会場の風景>なぜか聖なる杖を持って上がることになりました・・・
![長老達のあいさつ]()
![長老達とあいさつ2]()
この会議の上層部の方とのお話>
![この会のとても上層部の方のご挨拶]()
マヤの儀式>
![マヤの祈り]()
リトアニアの祈り>
![リトアニアの祈り]()
講義風景>
![コロンビアの方の講義]()
満月の日の祈り>
![満月の日に祈りました]()
食事風景:毎日、3食共カレーです(でも基本、ナンではなくお米が主食です)
![食事はいつもこんな感じです 3食カレーです]()
遅くなりましたが、先月2月にインドに行きました際のご報告をお伝えさせていただきます。
1月29日に日本を出国しドバイ経由にて1月30日の夕方にインドに到着しました。
片道11時間、早朝にドバイに着き、インドまでの飛行機への待ち時間が、6時間。空港から外には出られませんでしたが、高いビルの立ち並ぶ風景を目にしました。また、早朝、お祈りの時間になると空港全体に祈りの言葉の放送が流れていました。
このインドの長老会議ですが、3年に1度、インド国内を東西南北と廻り開催している会議で、以前、2012年にも私はご招待していただきました。(この会議での御縁で、2012年にキルギスへと行く事が出来ました)
今回は、マイソールという南部のアシュラムと言われる敷地内で開催されました。
この会議は、様々な民族の祈りをおこなう人や少数民族の言語や風習を研究している人、少数民族の現状など発表を行う場になっています。
私は、祈りを行う者として参加しました。
渡航前、インドで起きた事件などのニュースもありましたが、到着したインドの空港内にこの会議のインフォメーションデスクが置かれており、今回は問題なく、現地のスタッフと合流する事が出来ました。
夕方の到着でしたので、その日は、車で、2時間位の宿に宿泊が用意されていました。
翌1月31日。この日の朝は、そのホテルに泊まっている会議参加者の皆さんとバスで移動になりました。会場までは、車で、約4時間程だったと思います。
観光バス2台に長老達と乗車し、途中休憩を交えながら、現地マイソールの町へ行きました。
今回の南部は、車窓から見える景色が、緑り豊かなのが目立ちました。かなり乾燥していたのですが、畑には、サトウキビ、稲作、養蚕、ココナッツ畑と様々な農業が営まれており、特に養蚕の産地の為、民族衣装のサリーを着ている人が、他の地域と比べると多いという事を教えていただきました。後で目にした婦人警官の制服もサリーでした。
到着後、王様の宮殿を長老達にお見せするとの事で、バスから降り、そのまま、小さなバスに乗り換え、更に移動しました。
閉館時間を延長していたようで、足早に中を見て回り、外に出ると、そのまま広場で歓迎の式典になりました。
警察の楽団が演奏して、開会式でこの式典の間だけ、王宮をライトアップされました。
さて、2月1日、昨晩訪れた宮殿近くにある町をパレードするという事で、徒歩で約1km(もっとあったように感じましたが)インドの町を長老達と会議の参加者で歩きました。町の人達は、皆、花びらを撒いたり、子供達は歌を歌ったりと賑やかなものとなりました。エリザベスグランマと一緒にマリアさんも来ており、そして、聖なる杖の次の持ち主のロシェルさんと聖なる杖も来て、一緒に歩きました。
前回のハリドワールでの会議は、会場の敷地内を歩いただけでしたので、現地を感じる事が出来ました。
午後は、長老達の挨拶という事で、簡単でいいから2~3分ぐらいの挨拶をするように順番は20番目と言われ、壇上に参加の総勢23名の長老達と一緒に席に着かせていただけました。
この時、エリザベスグランマの提案で、グランマが祈りをする際に、いつも私が祈りで歌っている歌を歌って欲しいと言われました。マヤの祈りに合わせさせていただけるのは、とても光栄でしたので、一緒に祈りをさせていただきました。
(その後、長老達の自己紹介は段々と長くなり、番号が最後の方の人は、時間切れになってしまい、名前と国だけ言うようにという事を言われてしまいました。私は、エリザベスグランマと一緒に祈りをしましたので、飛ばされる事になったのですが、(そうでもしないと終わらない状況でした)焦った状態では何もできなかったので、祈りが出来て有りがたいと思いました)
この会は、会議の為、あちらこちらの教室で、それぞれの方々のレポート発表があります。
学校の時間割のような感じです。長老として呼んでいただいておりますので、前回参加されている方等のレポート時間には伺いました。よく英語が解らないので(中にはスペイン語の方もいましたが)詳しくは分からないのですが、プロジェクターでの資料を説明しているので、何となくこんな感じではないかと伺ってきました。
民族に伝わる儀式や伝承、言語や民族衣装など様々な講義がされていました。
毎朝、だいたい2か国の民族の方達の祈りが行われました。前回と違う国の方達も来られていましたので、今回私はこの会で朝の祈りを行う事は出来ませんでしたが、2月1日の朝、エリザベスグランマと共にマヤの祈りを行いました。この祈りの中で東側の担当しまして、聖なる杖と一緒に祈りをさせていただきました。
2月2日、女性だけで祈りを行うということが決まり、聖なる杖と共に輪になり、世界の平和の祈りを行いました。インドの女性やイラクの女性、アメリカのナバホの女性、ドイツ、台湾など様々な国の女性達で祈りを行いました。私は、聖なる杖を持つように言われまして、以前日本でも行ったように、杖を持って参加者一人一人順番に回り、祝福が来るようにという祈りを行いました。
2月3日、この日の夜。メインの会場で民族の歌を歌うという事が突然決まったようで(プログラムには、詳細は書かれていませんでした)主催者の方から「りか、何か日本の歌を歌いなさい」と言われました。
丁度、祈り合わせの日ですし、満月です。しっかりと祈りが出来る。数ヵ国の方達が行うので、一人の持ち時間は、5分ぐらいと言われましたが、祈りを歌に乗せて行う事が出来る。そう思い壇上に上がりました。
たまたま、この会にレポート発表で参加されていた日本人の方に、大まかな歌の意味となぜこの歌なのかという事を訳して、話していただく事もでき、会場の方々も心を合わせ、命の循環の祈りとして、いつも歌います、水甕の歌を、命の祈りとして、八重山の歌で月の歌を命の循環、生命の循環の祈りとして、そして沖縄の子守唄を命の誕生、命の繋ぎの祈りとして歌いました。
2月4日、私達は、インドを発つ日でした。2月6日は御宮の大祭、節分祭の日なので、この日に沖縄にいるようにするには、2月4日のお昼には会場を出発し、4~5時間車で移動しインドのバンガロール空港に戻り、手続きをしなければいけませんでした。
朝食後、帰国するという事で御挨拶に回りました。そして、この会議の日程中ずっとインタビューをさせて欲しいとコロンビアの方からお願いされておりましたので、その方達からの質問と祈りをさせていただきました。
お昼頃、主催者の方や色々と手配してくださっていた方々に挨拶をして、呼んでいただいたタクシーに乗って、空港へ戻り、再び、ドバイ経由で日本に戻りました。
今回は、会場の外に出る事は出来ず、歩いて2分ぐらいの宿と、会場の行き来だけになりました。
前回の会場は、大学の敷地内だったのか、学生さんが多く、ボランティアも学生さんだったのに比べると、今回は、宗教的な事もあるのかもしれませんが(信者の方達の住んでいる場所なのだと思います)とても親切で世話好きな方が多く、迷っていたり困っているとすぐに助けてくれました。
ヒマラヤからは遥か遠い場所ではありましたが、前回と今回で北部と南部を結ぶ事もでき、また、多くの方々と共にいる場所にて調和の祈り、命の循環の祈りもする事が出来ました。
支えて下さっている皆様のお蔭で、海外のこのように大きな場所で祈る事が出来ました。
本当にありがとうございました。
大変遅くなり簡単でありますが、インドの御神事の報告とさせていただきます。
深く感謝いたしております。ありがとうございました。
比嘉りか
※あまり写真が取れなかったのですが、主催者側で撮っていた物があり、少し掲載致します。
また、最後の祈りの際に伝えられました言葉を掲載いたします。
*祈りの際に伝えられました言葉*
近付く者達は 大切なものを 護ろうとしゆく
決して それは 悪しき事ではない
しかしながら それは あまりにも
強く 強く 強すぎると 今度は
攻撃へと 変わりゆく
それには 気を付けなければならない
人々は 護ることが出来る
そして 共に 共存し行く事が出来る
支え合う事が 出来る
人々も また そして 自然とも 出来行く
決して それは 忘れては ならない
多くの 生きとし生けるもの達と共に
支え合い生きてゆくという事は
人々と共に 支え合いながら 生きて行くということ
そして それは 人々も共に 支え合いながら 生きてゆくという事である
決して 忘れてはならない
また それは 気付いた者から 忘れないように 努めてゆかなければならない
それは 忘れてゆく者へと 忘れた事を 思い出させるように
種を 撒き行く事が出来るからである
一歩 また 一歩と 忘れずに 歩み行く その姿は
一粒一粒の種を その足元に落として行く事になりゆく
後から来た者が 必ず 気付くであろう
後から来た者が 必ず 見つけるであろう
その為にも 決して見失うことなく
気付いた者から 安心と 安定の為に 未来の為に
繋ぎ続け行く 命達の為に
しっかりと 心を そして その勇気を 信頼を 信じ
歩み行かれよ
世界は 繋がりゆく
おのずと 必ず また 同じもの達と 出会い行く
決して 一人ではない
必ずどこかに同じ思いを持ちゆく者が必ずいる
その者達と 繋がりゆかれよ
そして 歩み行かれよ
大切なる道程は まだまだ 先にある
その為にも しっかりと 骨組みを 作ってゆかなければならない
大切な事である
気付いた者から 進み行かれよ
初日>



町の中を行進>




会場の風景>なぜか聖なる杖を持って上がることになりました・・・


この会議の上層部の方とのお話>

マヤの儀式>

リトアニアの祈り>

講義風景>

満月の日の祈り>

食事風景:毎日、3食共カレーです(でも基本、ナンではなくお米が主食です)
