新暦9月20日(旧暦8月16日 丑)
いつも真心のお力添えありがとうございます。
本日は、先日15日、福島で聖なる杖の御神事並びに、皆様との祈り合わせの際に伝えられました言葉の部分をまず抜粋してお伝えさせていただきます。
夫の啓示、御神事のついての部分は、全文の確認作業と当日では伝えきれなかった部分などの補足に時間がかかっておりまして、改めてお伝えさせていただきます。とりあえず、福島当日の模様の動画は、下記に掲載させていただきます。
ご了承くださいませ。
**祈りの後、伝えてきた部分を抜粋**
2013年9月15日 福島にての祈り
人々よ、善き道、善き未来とはどのような姿であるのか。
自らが生きていく未来を、愛する者たちが生きていく未来を、見失わないようにするためにも、今を見つめ、未来を見つめ、善き方向へと変わり続けていくことは大切なことになりゆく。蠢きゆくこの世の中の中、命たちと共に歩みゆくためにも自らを見失ってはならない。
これは強き意志を持てと言うことであり、自己中心的になれということではない。見失わないためにも今を見ることは大切なことになりゆく。不安と恐れに潰されることなく立ち上がりゆくためにも、そしてその奥底にある、根底にある、しっかりとした一人一人持たされているその勇気を見失ってはならない。
今、なぜこの世、この時代、この時に今生きているのか、それは本当に大切な役目役割があるからである。
たいそう大きな役目役割を願い、そして欲する者がおるが、そんなことではない。皆一様に次の未来を作り上げゆかねばならないと言う、この星のための、他ならぬ、人以外の多くの命のための役目役割を担っているのである。人は後回しでよいのか、そういう意味ではない。
しかしながら、人が健やかに生きてゆくことと、多くの命たちが健やかに生きてゆくことは繋がっているのである。自然が、生きとし生けるものたちが、健やかなる成長を繋ぎ続けていくために、しいてはそれが回り回り巡り巡って、人という者たちの、命たちの、生きゆく生活の中へと巡ってくる。人は人だけでは生きてはいない。多くの命たちと共に共存していることを忘れてはならない。今、忘れられようとしている。だが、それをきちんと思い出そうとしている者たちも数多くおりゆく。それはよくわかっている。
だが、しっかりと意識してほしいのは、自らの小さな行動、小さな行いだけで何も変わらないと思わないでいてほしいのである。小さな小さな命たちも常に動きゆくことと常に働きゆくことによって、その場その場を変えてゆく。人々もまた、繋ぎ続けゆく一つ一つの行動が、しいては未来を、繋ぎ続け行く未来を変えてゆくことができるのである。人はそれほどまで本当に小さなものではない。自分を大きく見せてもならないが、しかし、小さき者だと諦めてはいけない。
行動を起こすことと、動きゆくことと、意識して活動してゆくこと、人はそれをきちんと行うことができる。忘れてはならない。変えてゆくことができるのも人である。世の中を見つめ、自然を見つめ、社会を見つめ、環境を見つめ、この星を見つめ、他ならぬ多くの共存してくれている命たちのことを考えて、自らの行動を変えゆくことは、人々はできるはずである。人は多くを語りゆく。そして、人は多くを知りゆく。生かしゆかねばならない。しっかりと人々がどこへと歩めゆくのか、今、歩もうとしているところをしっかりと見つめ、少しでも一人でもそうではない方向に進みゆくことは大切なことになりゆく。
今、しっかりと意識を持つことは大切なことでありゆく。決してその意識をくじけさせないためにも、まことまごころを持ち人々の命たちの健やかなる暮らしを願いゆく多くの者がいることを改めてしっかりと心に感じ続けてほしい。一人ではないと言うことをしっかりと覚えておいてほしい。必ずやその動きゆくその動きに対し、人ではないものたちが多くを支え、導き、促しゆくこととなるであろう。
タイミングはとても大切なことである。気づきもまたとても大切なことである。人は様々な物事により気づきゆくが、しかしながらそれでも人は人によって気づくことが多くありゆく。同じ人だからである。気づくことができる。人は人により気づき、助けられ、導かれゆく。気づいた者から歩み行く道のりを決して諦めずに進んでいてほしい。そしてそこには本当に見えない存在たちからの導きと支えが常に与えられ続けゆくこととなるであろう。そして、またその導きは見えない手から見えない絆、見えない繋がりをしっかりと結び、気づきそうな者たちへと渡されていく。気づきそうな者たちはその導きから気づいた者へと変わりゆき、また次の者たちへと広げていく。少し遠回りな気がするかもしれない。だけれども人は人でしか気づくことがなかなかにしてできない。
だから人と人の関わりをしっかりと持ちゆきながら、見失うことなく繋ぎ続けてほしいのである。命はいつもなお、そなたたちと共にあろうとする。星もまたそなたたちと共にあろうとするであろう。それをどういう風に受け止めるかは人々の心である。しっかりとその渡されている、伝えられているまこと、まごころを、心の奥深くにあるまこと、まごころで受け止めてほしい。そして、その善き行いにて答えとして返してほしい。循環はそこから生まれてくる。まこと、まごころの循環を見失うことなく繋げてほしい。
(比嘉良丸氏)
では、こちらからひとつ質問いたします。
9月18、19、かなり強い言葉で伝えてきたのが、経済の混乱ということを伝えてきておりましたが、今回、その流れはどういう風に流れているのか、もしよろしければ教えて下さい。
(比嘉りか氏)
ここから先、繋がりゆく流れにおいては、再びこのような時は起きゆくこととなるであろう。変わることはない。
今、まだ変われないのがこの世である。そしてその循環の中、浮き沈みがありながらも人々はその流れにて翻弄されゆくことが多くあるであろう。今回のその流れもまた、やがて落ち着きを迎えるかもしれない。しかしながら、それでも今はまだ、断定も判断もできない状況でありゆく。落ち着きを見せていたかと思えば横槍が入り、そしてそれが流れを大きく変えてゆくからである。決してそれはあせってはならないし、安心してもならない、少しよく状況を見つめながらきちんとした判断をしていくことは大切なことでありゆく。力を抑えるような動き、押さえようと動きが入っていることは確かである。だが、それでも反発しようと、跳ね除けようとしている力もまた出ていることも明らかである。どちらが納得して押さえていくのか、明らかになるのは少し先のことである。どちらも押し合い、圧し合いしながら、その均衡を保ちゆくこととなるであろう。
けれども今回、この伝えられていた言葉のように、やがてそれはいつの日にか大きな変換を迎える時はくるかもしれない。それは、今の状況のままであったらということである。やがてそれは大きな道のりを変えていくことにも繋がるであろう。けれどもしっかりと見ていてほしいのは、そのような流れの中、困惑や喜怒哀楽、それらを全てそこに映し出すのではなく、皆、冷静に見ていてほしいのである。一喜一憂するのではなく、どのような流れへと持ってゆこうとされているのかをしっかりと見届けていてほしい。そしてその見届けている中、自らの生活をしっかりと守っていてほしいのである。どのような者たちがどのような手段を使い、どのような形にて、また覆ししようとするかはまだ明らかではない。だから今はまだはっきりとしたことを伝えゆくことは難しいことである。
けれども今、まだ流れはその楔をまだ持っているのである。鎮火、落ち着き、消滅、その言葉を伝えゆくことは少々あせりが入っているという風に考えている。だからまだそのような流れへと繋がっている。安心しろとは言えないのである。これは日々繰り返しの中、少しづつ変わっていくことであるから。だからまた明日もしばらく見届けていかねばならない。押し合い圧し合いしているその均衡のとれた狭間の中、どちらがどのように納得して引き際をきちんと引くのか、それが今とても大切なことになっている。
保っているのは人々の意識である。慌てふためく状況を、混乱に陥れる状況を、混乱の中慌てていく状況を、人々は一部の者であるが、高見の見物、見たいと思う者も中にはいるのである。だがそれでも本当にそれが自らの足元を崩すような状況に陥ったとするならば、慌ててそれを回避するように動くであろう。流れはそうやって変わっていくのである。高見の見物を決めている者たちの足元が崩れそうになった時、そのシーソーゲームと言われる上がり下がりの中、その波は少し落ち着くであろう。
人々はそのような中においても、決して無駄ではない、しっかりとした希望を持っていてほしい。失わずにゆくことができるのは、人々のそのしっかりとした希望があるからであり、それがあるからこそ、また、次の者たちが社会を立ち上げ、そして善き未来を創ろうと仕組みを作り上げていくのである。どうか、その希望だけは決して見失わないでいてほしい。
善き道、善き未来への流れとして、このような流れとなっていくであろう。今まだ少しはっきりとした状況は、本当に均衡を保ち、まだどちらも状況を見極めてから一歩引き下がろうとせめぎ合いの時である。だから、どうかそれをしばらく見ていてほしいのである。そこに、手をかけたり、力をかけたり、参入したりするのではなく、一歩引いて何もせずに今少ししばらく見ていてほしいのである。
金銭をつぎ込む者たちがその均衡を破ることとなるであろう。だから今少し落ち着いていてほしいのである。冷静な判断が必要なのである。皆が道を見失わないように、しっかりとした道を見つめ続けいくことができるように、今、当たらず障らずそこはまず放っておいてもよい。自らの足元を、自らの未来をしっかりと目を向けゆくことは大切なることになりゆく。放っておいてもそのような上がり下がり、浮き沈みの中にある者たちは、勝手に自滅をしていくし、勝手に浮上していく。そういう者たちなのである。けれどもそこに関わりゆく多くの者たちがおり、そしてまた中に翻弄されていく者もかなり多くいるのは事実である。
けれども、今、押し合い圧し合いしながら、なんとか均衡を今睨み合いながらも保っている状況になっている。落ち着く。少し、次第に、やがて、ゆっくりと落ち着きゆくであろう。そしてそれがどのような状況になるのかは、少し離れたところから見つめ、そしてそこから変えていってほしいのである。見つめたときに、その先がどちらへ動こうとしているのかは、皆見ているものであればわかりゆくであろう。
社会が、世の中が、政治がまた動くからである。政治が動くのは、この日本ではない。ヨーロッパとアメリカとそのあいだに均衡を保っている者が少しずれ込んでくることとなるであろう。だけれどもそのなか、3つめのまた国があらためてそのなかへと参入してくるはずである。良き道、良き未来への道筋、決して見失うことが無きように繋ぎ続けゆかねばならない。あらためてのその均衡を破りゆく第3の国、いや、中国ではない。けれどもその国がしっかりとしたことを行うか否かによって、結局その先に来る未来が変化を遂げてゆくことになるのである。
中国にはそれはできない。自らの足下を見なければならない、大きな仕事が待っているからである。中国においては、慌てふためくことなく、きちんと冷静に対処しゆくことによって、落ち着きを再び取り戻すことができるであろう。けれどもそれが外へ向かわすか、内へ向かわすか、その重みはたいそうなものとなってくるのである。基礎、基盤がぐらつきゆく、それはしっかりと皆理解しているはずである。皆、というのは、上層部の者たちである。その者たちは理解しており、どのようにしなければならないのかを考えあぐねていることである、だが、それを外槍、外からなにかの力によって大きく揺さぶられることにより、均衡は保たれゆくことができず、崩れてゆくこととなるのである。それをしっかりと認識しているからこそ、どのようにしてゆかねばならないのか、その揺さぶりが少しずつかけられているからこそ、どうしたらよいのかを今、上の者たちは考えている。
アフリカにおいては、中の、まだまだの災い、そしてその蠢き、一様にまとまりがつかないその流れにおいて、少しずつ変化は遂げてくるものの、まだまだその流れは大きく変化を向かえてくることとなるであろう。良き道良き未来へと進みゆくためにはまだ少し時間がかかりゆくのである。
シリアという場所、均衡を保ちゆこうと皆必死になりゆくこととなるであろう。だけれどもこの国もまた、やはり裏で操られているものでもあり、それがただ名前がおもてに出ていくだけであって、そして、実際、事実、本当に、そのような状況下にあるのかどうかということもまた、手を加えられている可能性が大きい。
それを皆、本当のこと、認識し、そして、本当に危ないと恐怖を覚え、潰しにかかろうとしゆくが、だけれどもそれは一歩待ってゆかねばならない。世の中がどのように変わろうとも、まず先に我が進むのではなく、どのような状況に流れようとするのか少し見ることはとても大切なことになりゆくのである。今、一歩先に、我先にと、足を速め、進もうとすると、待ち受けている穴に落ちるようなものである。それかかったと、皆そこから芋づる式に吊り上げようとし、そしてそれらをすべて刈りゆこうとしゆく。だからこそどうかその手に乗らないでいてほしいのである。落ち着けというのはその意味である。世の中の時間、時の流れが速く流れているということは、再三伝えてきていることであり、皆一様にそこかしこで少しずつ時間の流れが速いこと、自らの時間の感覚がとても短く感じていることはうっすらとでも理解していることであろう。
だけれどもそれだからといって、社会に対して、世の中に対して、特に世界に対しての動きを瞬時に動くという動きは、少し今待ってほしいのである。むろんそれが、きちんとした状況下のなか、はっきりとした結果がわかっているのであれば急ぎゆくことはかまわない。けれども本当にそれが正しいことなのか、良きことなのか、きちんとした結果が待ち受けているのか、罠ではないのか、それは少し考えてほしいのである。崩そうとしている力が大きくはたらいているのは、大きく蠢きゆく裏の流れの事実である。この流れのなかにおいて、どうか皆それに巻き込まれないでいてほしい。いや、生活をしていくなかでは、多かれ少なかれ、流れに巻き込まれゆくことがあるであろう。だけれども自らその流れに首を突っ込むようなことだけはしないでほしいのである。社会との関わり、世界との関わり、深いものがいるのであるならば、それは少し抑えていてほしい。なにも旅にゆくな、旅行にゆくな、そういったことではない。世界の経済において関わりがあるものがあるのであるならば、今しばらく少し落ち着いていてほしいのである。
世の中の政治経済のなかに、深い関係を持っている者がいるのならば、それは少し落ち着いていてほしいのである。とくに、社会に対する、経済に対する者がよくよく見つめ落ち着いていてほしいのである。動きは少し落ち着くことで緩和されゆく。誰も吊り上げゆくことができなければ、闇の者たちはみな、別な手段を考えてくることになるであろう。皆が吊り上げに加わってこないということは、彼らのなかにとって予想外、判定外のことになってくる。餌を吊せば皆が喰らいつく、それをしっかりと考えている。またそれは、喰らいつけるかのような、美味い餌を落としてくるからである。けれどもそれを皆落ち着きを見計らい、本当にそれが良いものかどうかを考え、見つめゆくことによって、喰らいつかない餌に一同不信感、不安感を思いゆく。はてさてそれはどのようなことなのか、どうしたらこの罠にこの餌にみな喰らいつくのであろうか。一網打尽にするためにもこれに喰らいつかなければ、もっといい餌、もっといい餌というかたちにて、逆にそれがおかしな餌に見えてくるはずである。
だからそれまで待って欲しい。それが、おかしい餌だと見破ることはかならずできるはずである。それは本当におかしいとみなが思うような状況だからである。だからこそそれが相手の者たちその者たちに、逆に足を出させる、しっぽを出させる、そういった策になるのである。今しばらく少し、経済というものに対しては落ち着いて見ていてほしい。少し落ち着いて見ることに、これから先の未来の大きな判定、判別が見えてくることとなるであろう。どうかそれをきちんと見極め、見つめ、そして、これからの世の中を創りあげていってほしいのである。ありがとうございました。
**以上**
伝えられた事につきましては、改めてお話しさせていただきたいと思います。
本日も、真心のお力添えの程をよろしくお願いいたします
比嘉りか
※※福島での聖なる杖の動画※※
2013年9月15日 福島会場:1
※下記の画像をクリックしていただくと、動画の画面に移ります

2013年9月15日 福島会場:2
※下記の画像をクリックしていただくと、動画の画面に移ります
![福島2]()
2013年9月15日 福島会場:3
※下記の画像をクリックしていただくと、動画の画面に移ります
![福島3]()
★*★*祈りの和information*★*★
★聖なる杖 申込みサイト開設
※※ 各会場へのお問い合わせはご遠慮ください。
開催の詳細、変更は、下記サイトをご確認ください
聖なる杖 情報サイト>>http://tackk.com/raurqu
お問い合わせは
![問い合わせ]()
聖なる杖 9月 会場>>
★9/20(金)埼玉・13時開場・13時30分開演
・武蔵浦和コミュニティセンター8階第7集会室(さいたま市南区別所7丁目20番1号 サウスピア8階)
http://www.e-map.ne.jp/pc/index.htm?cid=Saitama&kid=1166
・会場利用時間の関係で、聖なる杖の口伝えは先着30名にて終了させて頂きます。ご参加希望の方は、当日、会場にて整理券を受取り下さい。
・JR武蔵浦和駅西口下車徒歩1分・駐車場は、専用駐車場(有料)をご利用ください。
・参加費は無料です。聖なる杖の全国ご神事運営費の支援をお願いします。
★9/21(土)栃木・12時30分開場・13時開演
・宇都宮文化会館 研修室(栃木県宇都宮市明保野町7-66 )
・参加費 2,000円+ラブオファーとしてご神事の支援をお願いします。
・会場利用時間の関係で、定員40名とさせて頂きます。参加ご希望の方は、下記より、申し込み手続きを行ってくださいますようお願いいたします。
「参加方法」下記専用サイトよりお申込みくださいませ
栃木用申込みサイト
![mousikomi1]()
★9/22(日)東京 12:30会場・13:00開演
・スクエア荏原/イベントホールC(東京都品川区荏原4-5-28)
※聖なる杖のセレモニーへの同席は、申し込み不要。参加費2000円+御神事支援金となります。
※※「口伝え」をご希望の方は、申し込み制となりますので、下記より事前にお申込みください。
下記専用サイトよりお申込みくださいませ
東京口伝え申込みサイト
![mousikomi1]()
※※各会場へ直接のお問い合わせはご遠慮くださいませ。
お問い合わせは
![問い合わせ]()
★9月27日 SHIFT OF THE AGES ~マヤ族長老が旅した時間の軌跡~ 上映決定!!
2012年の富士山中湖セレモニーにも来日くださいました、マヤ・キチェー族長老アレハンドロ氏は皆様もよくご存じかと思います。
今回、長老を7年間にわたり撮影してきたドキュメンタリー映画が公開されることとなりました。
聖なるマヤの予言を携えた一人の長老が歩んだ軌跡。
今起きているこの急激な変換期を生き抜く、愛と叡智に満ちた姿が映し出されている映画です。
長老の言葉を通して、一人一人の心が、それぞれの今後の人生に対し、これからの未来に対し、大切な事を受け取れるのではないかと感じております。
ご来場いただきました皆様に、もれなく、SHIFT OF THE AGES の日本語版DVDがプレゼントされます。
ぜひこの機会に、足をお運びくださいませ。
2013年9月27日(金)17:45 開場
開場:スクエア荏原 ひらつかホール
事前の申込み制となっております。詳細、並びに、お申し込みは、下記専用サイトから、お申込み手続きをお願いいたします
※こちら下の画像をクリックしてください。専用のサイトへ移動します
![映画]()
いつも真心のお力添えありがとうございます。
本日は、先日15日、福島で聖なる杖の御神事並びに、皆様との祈り合わせの際に伝えられました言葉の部分をまず抜粋してお伝えさせていただきます。
夫の啓示、御神事のついての部分は、全文の確認作業と当日では伝えきれなかった部分などの補足に時間がかかっておりまして、改めてお伝えさせていただきます。とりあえず、福島当日の模様の動画は、下記に掲載させていただきます。
ご了承くださいませ。
**祈りの後、伝えてきた部分を抜粋**
2013年9月15日 福島にての祈り
人々よ、善き道、善き未来とはどのような姿であるのか。
自らが生きていく未来を、愛する者たちが生きていく未来を、見失わないようにするためにも、今を見つめ、未来を見つめ、善き方向へと変わり続けていくことは大切なことになりゆく。蠢きゆくこの世の中の中、命たちと共に歩みゆくためにも自らを見失ってはならない。
これは強き意志を持てと言うことであり、自己中心的になれということではない。見失わないためにも今を見ることは大切なことになりゆく。不安と恐れに潰されることなく立ち上がりゆくためにも、そしてその奥底にある、根底にある、しっかりとした一人一人持たされているその勇気を見失ってはならない。
今、なぜこの世、この時代、この時に今生きているのか、それは本当に大切な役目役割があるからである。
たいそう大きな役目役割を願い、そして欲する者がおるが、そんなことではない。皆一様に次の未来を作り上げゆかねばならないと言う、この星のための、他ならぬ、人以外の多くの命のための役目役割を担っているのである。人は後回しでよいのか、そういう意味ではない。
しかしながら、人が健やかに生きてゆくことと、多くの命たちが健やかに生きてゆくことは繋がっているのである。自然が、生きとし生けるものたちが、健やかなる成長を繋ぎ続けていくために、しいてはそれが回り回り巡り巡って、人という者たちの、命たちの、生きゆく生活の中へと巡ってくる。人は人だけでは生きてはいない。多くの命たちと共に共存していることを忘れてはならない。今、忘れられようとしている。だが、それをきちんと思い出そうとしている者たちも数多くおりゆく。それはよくわかっている。
だが、しっかりと意識してほしいのは、自らの小さな行動、小さな行いだけで何も変わらないと思わないでいてほしいのである。小さな小さな命たちも常に動きゆくことと常に働きゆくことによって、その場その場を変えてゆく。人々もまた、繋ぎ続けゆく一つ一つの行動が、しいては未来を、繋ぎ続け行く未来を変えてゆくことができるのである。人はそれほどまで本当に小さなものではない。自分を大きく見せてもならないが、しかし、小さき者だと諦めてはいけない。
行動を起こすことと、動きゆくことと、意識して活動してゆくこと、人はそれをきちんと行うことができる。忘れてはならない。変えてゆくことができるのも人である。世の中を見つめ、自然を見つめ、社会を見つめ、環境を見つめ、この星を見つめ、他ならぬ多くの共存してくれている命たちのことを考えて、自らの行動を変えゆくことは、人々はできるはずである。人は多くを語りゆく。そして、人は多くを知りゆく。生かしゆかねばならない。しっかりと人々がどこへと歩めゆくのか、今、歩もうとしているところをしっかりと見つめ、少しでも一人でもそうではない方向に進みゆくことは大切なことになりゆく。
今、しっかりと意識を持つことは大切なことでありゆく。決してその意識をくじけさせないためにも、まことまごころを持ち人々の命たちの健やかなる暮らしを願いゆく多くの者がいることを改めてしっかりと心に感じ続けてほしい。一人ではないと言うことをしっかりと覚えておいてほしい。必ずやその動きゆくその動きに対し、人ではないものたちが多くを支え、導き、促しゆくこととなるであろう。
タイミングはとても大切なことである。気づきもまたとても大切なことである。人は様々な物事により気づきゆくが、しかしながらそれでも人は人によって気づくことが多くありゆく。同じ人だからである。気づくことができる。人は人により気づき、助けられ、導かれゆく。気づいた者から歩み行く道のりを決して諦めずに進んでいてほしい。そしてそこには本当に見えない存在たちからの導きと支えが常に与えられ続けゆくこととなるであろう。そして、またその導きは見えない手から見えない絆、見えない繋がりをしっかりと結び、気づきそうな者たちへと渡されていく。気づきそうな者たちはその導きから気づいた者へと変わりゆき、また次の者たちへと広げていく。少し遠回りな気がするかもしれない。だけれども人は人でしか気づくことがなかなかにしてできない。
だから人と人の関わりをしっかりと持ちゆきながら、見失うことなく繋ぎ続けてほしいのである。命はいつもなお、そなたたちと共にあろうとする。星もまたそなたたちと共にあろうとするであろう。それをどういう風に受け止めるかは人々の心である。しっかりとその渡されている、伝えられているまこと、まごころを、心の奥深くにあるまこと、まごころで受け止めてほしい。そして、その善き行いにて答えとして返してほしい。循環はそこから生まれてくる。まこと、まごころの循環を見失うことなく繋げてほしい。
(比嘉良丸氏)
では、こちらからひとつ質問いたします。
9月18、19、かなり強い言葉で伝えてきたのが、経済の混乱ということを伝えてきておりましたが、今回、その流れはどういう風に流れているのか、もしよろしければ教えて下さい。
(比嘉りか氏)
ここから先、繋がりゆく流れにおいては、再びこのような時は起きゆくこととなるであろう。変わることはない。
今、まだ変われないのがこの世である。そしてその循環の中、浮き沈みがありながらも人々はその流れにて翻弄されゆくことが多くあるであろう。今回のその流れもまた、やがて落ち着きを迎えるかもしれない。しかしながら、それでも今はまだ、断定も判断もできない状況でありゆく。落ち着きを見せていたかと思えば横槍が入り、そしてそれが流れを大きく変えてゆくからである。決してそれはあせってはならないし、安心してもならない、少しよく状況を見つめながらきちんとした判断をしていくことは大切なことでありゆく。力を抑えるような動き、押さえようと動きが入っていることは確かである。だが、それでも反発しようと、跳ね除けようとしている力もまた出ていることも明らかである。どちらが納得して押さえていくのか、明らかになるのは少し先のことである。どちらも押し合い、圧し合いしながら、その均衡を保ちゆくこととなるであろう。
けれども今回、この伝えられていた言葉のように、やがてそれはいつの日にか大きな変換を迎える時はくるかもしれない。それは、今の状況のままであったらということである。やがてそれは大きな道のりを変えていくことにも繋がるであろう。けれどもしっかりと見ていてほしいのは、そのような流れの中、困惑や喜怒哀楽、それらを全てそこに映し出すのではなく、皆、冷静に見ていてほしいのである。一喜一憂するのではなく、どのような流れへと持ってゆこうとされているのかをしっかりと見届けていてほしい。そしてその見届けている中、自らの生活をしっかりと守っていてほしいのである。どのような者たちがどのような手段を使い、どのような形にて、また覆ししようとするかはまだ明らかではない。だから今はまだはっきりとしたことを伝えゆくことは難しいことである。
けれども今、まだ流れはその楔をまだ持っているのである。鎮火、落ち着き、消滅、その言葉を伝えゆくことは少々あせりが入っているという風に考えている。だからまだそのような流れへと繋がっている。安心しろとは言えないのである。これは日々繰り返しの中、少しづつ変わっていくことであるから。だからまた明日もしばらく見届けていかねばならない。押し合い圧し合いしているその均衡のとれた狭間の中、どちらがどのように納得して引き際をきちんと引くのか、それが今とても大切なことになっている。
保っているのは人々の意識である。慌てふためく状況を、混乱に陥れる状況を、混乱の中慌てていく状況を、人々は一部の者であるが、高見の見物、見たいと思う者も中にはいるのである。だがそれでも本当にそれが自らの足元を崩すような状況に陥ったとするならば、慌ててそれを回避するように動くであろう。流れはそうやって変わっていくのである。高見の見物を決めている者たちの足元が崩れそうになった時、そのシーソーゲームと言われる上がり下がりの中、その波は少し落ち着くであろう。
人々はそのような中においても、決して無駄ではない、しっかりとした希望を持っていてほしい。失わずにゆくことができるのは、人々のそのしっかりとした希望があるからであり、それがあるからこそ、また、次の者たちが社会を立ち上げ、そして善き未来を創ろうと仕組みを作り上げていくのである。どうか、その希望だけは決して見失わないでいてほしい。
善き道、善き未来への流れとして、このような流れとなっていくであろう。今まだ少しはっきりとした状況は、本当に均衡を保ち、まだどちらも状況を見極めてから一歩引き下がろうとせめぎ合いの時である。だから、どうかそれをしばらく見ていてほしいのである。そこに、手をかけたり、力をかけたり、参入したりするのではなく、一歩引いて何もせずに今少ししばらく見ていてほしいのである。
金銭をつぎ込む者たちがその均衡を破ることとなるであろう。だから今少し落ち着いていてほしいのである。冷静な判断が必要なのである。皆が道を見失わないように、しっかりとした道を見つめ続けいくことができるように、今、当たらず障らずそこはまず放っておいてもよい。自らの足元を、自らの未来をしっかりと目を向けゆくことは大切なることになりゆく。放っておいてもそのような上がり下がり、浮き沈みの中にある者たちは、勝手に自滅をしていくし、勝手に浮上していく。そういう者たちなのである。けれどもそこに関わりゆく多くの者たちがおり、そしてまた中に翻弄されていく者もかなり多くいるのは事実である。
けれども、今、押し合い圧し合いしながら、なんとか均衡を今睨み合いながらも保っている状況になっている。落ち着く。少し、次第に、やがて、ゆっくりと落ち着きゆくであろう。そしてそれがどのような状況になるのかは、少し離れたところから見つめ、そしてそこから変えていってほしいのである。見つめたときに、その先がどちらへ動こうとしているのかは、皆見ているものであればわかりゆくであろう。
社会が、世の中が、政治がまた動くからである。政治が動くのは、この日本ではない。ヨーロッパとアメリカとそのあいだに均衡を保っている者が少しずれ込んでくることとなるであろう。だけれどもそのなか、3つめのまた国があらためてそのなかへと参入してくるはずである。良き道、良き未来への道筋、決して見失うことが無きように繋ぎ続けゆかねばならない。あらためてのその均衡を破りゆく第3の国、いや、中国ではない。けれどもその国がしっかりとしたことを行うか否かによって、結局その先に来る未来が変化を遂げてゆくことになるのである。
中国にはそれはできない。自らの足下を見なければならない、大きな仕事が待っているからである。中国においては、慌てふためくことなく、きちんと冷静に対処しゆくことによって、落ち着きを再び取り戻すことができるであろう。けれどもそれが外へ向かわすか、内へ向かわすか、その重みはたいそうなものとなってくるのである。基礎、基盤がぐらつきゆく、それはしっかりと皆理解しているはずである。皆、というのは、上層部の者たちである。その者たちは理解しており、どのようにしなければならないのかを考えあぐねていることである、だが、それを外槍、外からなにかの力によって大きく揺さぶられることにより、均衡は保たれゆくことができず、崩れてゆくこととなるのである。それをしっかりと認識しているからこそ、どのようにしてゆかねばならないのか、その揺さぶりが少しずつかけられているからこそ、どうしたらよいのかを今、上の者たちは考えている。
アフリカにおいては、中の、まだまだの災い、そしてその蠢き、一様にまとまりがつかないその流れにおいて、少しずつ変化は遂げてくるものの、まだまだその流れは大きく変化を向かえてくることとなるであろう。良き道良き未来へと進みゆくためにはまだ少し時間がかかりゆくのである。
シリアという場所、均衡を保ちゆこうと皆必死になりゆくこととなるであろう。だけれどもこの国もまた、やはり裏で操られているものでもあり、それがただ名前がおもてに出ていくだけであって、そして、実際、事実、本当に、そのような状況下にあるのかどうかということもまた、手を加えられている可能性が大きい。
それを皆、本当のこと、認識し、そして、本当に危ないと恐怖を覚え、潰しにかかろうとしゆくが、だけれどもそれは一歩待ってゆかねばならない。世の中がどのように変わろうとも、まず先に我が進むのではなく、どのような状況に流れようとするのか少し見ることはとても大切なことになりゆくのである。今、一歩先に、我先にと、足を速め、進もうとすると、待ち受けている穴に落ちるようなものである。それかかったと、皆そこから芋づる式に吊り上げようとし、そしてそれらをすべて刈りゆこうとしゆく。だからこそどうかその手に乗らないでいてほしいのである。落ち着けというのはその意味である。世の中の時間、時の流れが速く流れているということは、再三伝えてきていることであり、皆一様にそこかしこで少しずつ時間の流れが速いこと、自らの時間の感覚がとても短く感じていることはうっすらとでも理解していることであろう。
だけれどもそれだからといって、社会に対して、世の中に対して、特に世界に対しての動きを瞬時に動くという動きは、少し今待ってほしいのである。むろんそれが、きちんとした状況下のなか、はっきりとした結果がわかっているのであれば急ぎゆくことはかまわない。けれども本当にそれが正しいことなのか、良きことなのか、きちんとした結果が待ち受けているのか、罠ではないのか、それは少し考えてほしいのである。崩そうとしている力が大きくはたらいているのは、大きく蠢きゆく裏の流れの事実である。この流れのなかにおいて、どうか皆それに巻き込まれないでいてほしい。いや、生活をしていくなかでは、多かれ少なかれ、流れに巻き込まれゆくことがあるであろう。だけれども自らその流れに首を突っ込むようなことだけはしないでほしいのである。社会との関わり、世界との関わり、深いものがいるのであるならば、それは少し抑えていてほしい。なにも旅にゆくな、旅行にゆくな、そういったことではない。世界の経済において関わりがあるものがあるのであるならば、今しばらく少し落ち着いていてほしいのである。
世の中の政治経済のなかに、深い関係を持っている者がいるのならば、それは少し落ち着いていてほしいのである。とくに、社会に対する、経済に対する者がよくよく見つめ落ち着いていてほしいのである。動きは少し落ち着くことで緩和されゆく。誰も吊り上げゆくことができなければ、闇の者たちはみな、別な手段を考えてくることになるであろう。皆が吊り上げに加わってこないということは、彼らのなかにとって予想外、判定外のことになってくる。餌を吊せば皆が喰らいつく、それをしっかりと考えている。またそれは、喰らいつけるかのような、美味い餌を落としてくるからである。けれどもそれを皆落ち着きを見計らい、本当にそれが良いものかどうかを考え、見つめゆくことによって、喰らいつかない餌に一同不信感、不安感を思いゆく。はてさてそれはどのようなことなのか、どうしたらこの罠にこの餌にみな喰らいつくのであろうか。一網打尽にするためにもこれに喰らいつかなければ、もっといい餌、もっといい餌というかたちにて、逆にそれがおかしな餌に見えてくるはずである。
だからそれまで待って欲しい。それが、おかしい餌だと見破ることはかならずできるはずである。それは本当におかしいとみなが思うような状況だからである。だからこそそれが相手の者たちその者たちに、逆に足を出させる、しっぽを出させる、そういった策になるのである。今しばらく少し、経済というものに対しては落ち着いて見ていてほしい。少し落ち着いて見ることに、これから先の未来の大きな判定、判別が見えてくることとなるであろう。どうかそれをきちんと見極め、見つめ、そして、これからの世の中を創りあげていってほしいのである。ありがとうございました。
**以上**
伝えられた事につきましては、改めてお話しさせていただきたいと思います。
本日も、真心のお力添えの程をよろしくお願いいたします
比嘉りか
※※福島での聖なる杖の動画※※
2013年9月15日 福島会場:1
※下記の画像をクリックしていただくと、動画の画面に移ります

2013年9月15日 福島会場:2
※下記の画像をクリックしていただくと、動画の画面に移ります

2013年9月15日 福島会場:3
※下記の画像をクリックしていただくと、動画の画面に移ります

★*★*祈りの和information*★*★
★聖なる杖 申込みサイト開設
※※ 各会場へのお問い合わせはご遠慮ください。
開催の詳細、変更は、下記サイトをご確認ください
聖なる杖 情報サイト>>http://tackk.com/raurqu
お問い合わせは

聖なる杖 9月 会場>>
★9/20(金)埼玉・13時開場・13時30分開演
・武蔵浦和コミュニティセンター8階第7集会室(さいたま市南区別所7丁目20番1号 サウスピア8階)
http://www.e-map.ne.jp/pc/index.htm?cid=Saitama&kid=1166
・会場利用時間の関係で、聖なる杖の口伝えは先着30名にて終了させて頂きます。ご参加希望の方は、当日、会場にて整理券を受取り下さい。
・JR武蔵浦和駅西口下車徒歩1分・駐車場は、専用駐車場(有料)をご利用ください。
・参加費は無料です。聖なる杖の全国ご神事運営費の支援をお願いします。
★9/21(土)栃木・12時30分開場・13時開演
・宇都宮文化会館 研修室(栃木県宇都宮市明保野町7-66 )
・参加費 2,000円+ラブオファーとしてご神事の支援をお願いします。
・会場利用時間の関係で、定員40名とさせて頂きます。参加ご希望の方は、下記より、申し込み手続きを行ってくださいますようお願いいたします。
「参加方法」下記専用サイトよりお申込みくださいませ
栃木用申込みサイト

★9/22(日)東京 12:30会場・13:00開演
・スクエア荏原/イベントホールC(東京都品川区荏原4-5-28)
※聖なる杖のセレモニーへの同席は、申し込み不要。参加費2000円+御神事支援金となります。
※※「口伝え」をご希望の方は、申し込み制となりますので、下記より事前にお申込みください。
下記専用サイトよりお申込みくださいませ
東京口伝え申込みサイト

※※各会場へ直接のお問い合わせはご遠慮くださいませ。
お問い合わせは

★9月27日 SHIFT OF THE AGES ~マヤ族長老が旅した時間の軌跡~ 上映決定!!
2012年の富士山中湖セレモニーにも来日くださいました、マヤ・キチェー族長老アレハンドロ氏は皆様もよくご存じかと思います。
今回、長老を7年間にわたり撮影してきたドキュメンタリー映画が公開されることとなりました。
聖なるマヤの予言を携えた一人の長老が歩んだ軌跡。
今起きているこの急激な変換期を生き抜く、愛と叡智に満ちた姿が映し出されている映画です。
長老の言葉を通して、一人一人の心が、それぞれの今後の人生に対し、これからの未来に対し、大切な事を受け取れるのではないかと感じております。
ご来場いただきました皆様に、もれなく、SHIFT OF THE AGES の日本語版DVDがプレゼントされます。
ぜひこの機会に、足をお運びくださいませ。
2013年9月27日(金)17:45 開場
開場:スクエア荏原 ひらつかホール
事前の申込み制となっております。詳細、並びに、お申し込みは、下記専用サイトから、お申込み手続きをお願いいたします
※こちら下の画像をクリックしてください。専用のサイトへ移動します
