10月12日の祈り合わせは目黒不動尊にて行われ、14日は明治神宮が選ばれました。今回はこの地が祈り合わせの場所とされた事に関して、簡単ではありますがお話しさせて頂きます。詳しくは日を改めて良丸さんから放送或いは、ブログを通じて解説があると思います。
10/12日は経済に対する祈りとして目黒不動尊(龍泉寺)にて祈り合わせが行われたわけですが。目黒不動尊には関東に薩摩芋を伝えたと云われる青木昆陽が祀られています。
薩摩芋はもともと沖縄の作物であったものが、飢饉を救うために九州へ伝えられたものと云われているそうです。その薩摩芋が関東に伝わり、その後の戦火や災害、飢饉と云った危機の際、薩摩芋が果たした役割はとても大きかったものと思われます。
人々にとって経済の根本とは日々の糧を得る為の活動として捉えられる事が出来ます。食が基本となり、衣、住の充実の為に繰り広げられる活動が経済です。人々は最低限、食が無いと生きてはいけません。しかし、どこ迄も貪欲に富を求める事がどの様な未来を生むのか、そろそろ真剣に考える必要がありそうです。善悪では無く、行為の結果が何なのか?と云う観点で・・・
経済と云う活動に対しての根本的な意味を振り返り問う必要があるのかも知れません。
それは、私たちを含む命があり続ける為の活動なんだよという事。
生命が連綿として繫がる、その根本を見失ってはいないかい?
動物や植物の生命、自分たちの住まう環境の事さえも忘れて、身勝手な所業を行ってはいないかい?
そんな声が聞こえた様に思いました。
改めて経済の根本知り、思い出す為にも龍泉寺が選ばれたのかも知れません。
比嘉さんは祈り合わせの当日に参加者から聞いたそうですが。青木昆陽の命日が10/12、つまり、祈り合わせのその日であったと云う事も合わせてお伝えしておきます。
この様に、それぞれの日、場所、出来事から、込められた意味を探る事が出来ます。これを単なる偶然として切り捨てる事も勿論、出来るでしょう。でも、そこから得られるものがあるのであればそれを察する事は私たちに智慧を与えてくれるものとなるはずです。
青木昆陽に関して、Wikipediaより・・・
一般的には、青木昆陽の薩摩芋試作の後、関東に薩摩芋栽培が広まったとされている。しかし、この点については、後述の佐藤信淵の指摘をはじめ、以下のような疑問がある。以降は、青木昆陽をWikipediaにてお調べ下さい。
1日の間を開け10/14日は明治神宮にて祈り合わせが開催されました。
この日は政治に関する祈り合わせとしてこの地が選ばれています。明治神宮は明治天皇が祀られている事はいう迄もありません。そして、明治と云う時代が鎖国を解き政治を国際社会に拡げた転機となった時である事も語る迄もありません。
その時代の象徴であった明治天皇が祀られる明治神宮は言い換えれば、日本に於ける国際政治の象徴の地と云う事が出来ます。
また、この時期に日本にて世界の要人が集まりIMFの会合が開かれます、そこでは経済を絡み必然的に政治のやり取りが成されます。
この二つの要素、時と場所を選びこの地にて祈り合わせが開催された訳がそこにあるらしいのです。
以上、簡単ですが二日間の祈り合わせの意味をご説明させていただきました。
祈り合わせの後に、場所を変えてこの意味に関して比嘉さんの話がありました。それに関しての詳細はいずれ比嘉さんの言葉にてお知らせがあると思います。
さて、14日の祈り合わせではいくつかのアクシデントがありましたが、その一つをご紹介します。祈り合わせが行われた明治神宮は都心に残る貴重な森と云う一面も持ち合わせており、そこにはたくさんの動植物が暮らしています。待ち合わせの場所に先ず現れたのが、つがいの狸でした。御苑では小鳥や獣さん達がそれ程人を怖がりません。その時も、狸は何度か人の近くへ現れ、やわらかな表情を見せてくれました。
祈り合わせが終わり、その後、夜遅くまでこころの架け橋の打合せが行われました。昼間見た狸のまなざしを想い、人は他の命を摂取しなければ自らの命を保つ事が出来ないのだろうか?その様な話しを尋ねてみました。その結論は別として、命を頂くという事が命の尊さを知る事に繋がる、それだけは確かなようです。
御苑のたぬきさん、もうひとりは森でお休み中です・・・

東屋にて・・・

10/12日は経済に対する祈りとして目黒不動尊(龍泉寺)にて祈り合わせが行われたわけですが。目黒不動尊には関東に薩摩芋を伝えたと云われる青木昆陽が祀られています。
薩摩芋はもともと沖縄の作物であったものが、飢饉を救うために九州へ伝えられたものと云われているそうです。その薩摩芋が関東に伝わり、その後の戦火や災害、飢饉と云った危機の際、薩摩芋が果たした役割はとても大きかったものと思われます。
人々にとって経済の根本とは日々の糧を得る為の活動として捉えられる事が出来ます。食が基本となり、衣、住の充実の為に繰り広げられる活動が経済です。人々は最低限、食が無いと生きてはいけません。しかし、どこ迄も貪欲に富を求める事がどの様な未来を生むのか、そろそろ真剣に考える必要がありそうです。善悪では無く、行為の結果が何なのか?と云う観点で・・・
経済と云う活動に対しての根本的な意味を振り返り問う必要があるのかも知れません。
それは、私たちを含む命があり続ける為の活動なんだよという事。
生命が連綿として繫がる、その根本を見失ってはいないかい?
動物や植物の生命、自分たちの住まう環境の事さえも忘れて、身勝手な所業を行ってはいないかい?
そんな声が聞こえた様に思いました。
改めて経済の根本知り、思い出す為にも龍泉寺が選ばれたのかも知れません。
比嘉さんは祈り合わせの当日に参加者から聞いたそうですが。青木昆陽の命日が10/12、つまり、祈り合わせのその日であったと云う事も合わせてお伝えしておきます。
この様に、それぞれの日、場所、出来事から、込められた意味を探る事が出来ます。これを単なる偶然として切り捨てる事も勿論、出来るでしょう。でも、そこから得られるものがあるのであればそれを察する事は私たちに智慧を与えてくれるものとなるはずです。
青木昆陽に関して、Wikipediaより・・・
一般的には、青木昆陽の薩摩芋試作の後、関東に薩摩芋栽培が広まったとされている。しかし、この点については、後述の佐藤信淵の指摘をはじめ、以下のような疑問がある。以降は、青木昆陽をWikipediaにてお調べ下さい。
1日の間を開け10/14日は明治神宮にて祈り合わせが開催されました。
この日は政治に関する祈り合わせとしてこの地が選ばれています。明治神宮は明治天皇が祀られている事はいう迄もありません。そして、明治と云う時代が鎖国を解き政治を国際社会に拡げた転機となった時である事も語る迄もありません。
その時代の象徴であった明治天皇が祀られる明治神宮は言い換えれば、日本に於ける国際政治の象徴の地と云う事が出来ます。
また、この時期に日本にて世界の要人が集まりIMFの会合が開かれます、そこでは経済を絡み必然的に政治のやり取りが成されます。
この二つの要素、時と場所を選びこの地にて祈り合わせが開催された訳がそこにあるらしいのです。
以上、簡単ですが二日間の祈り合わせの意味をご説明させていただきました。
祈り合わせの後に、場所を変えてこの意味に関して比嘉さんの話がありました。それに関しての詳細はいずれ比嘉さんの言葉にてお知らせがあると思います。
さて、14日の祈り合わせではいくつかのアクシデントがありましたが、その一つをご紹介します。祈り合わせが行われた明治神宮は都心に残る貴重な森と云う一面も持ち合わせており、そこにはたくさんの動植物が暮らしています。待ち合わせの場所に先ず現れたのが、つがいの狸でした。御苑では小鳥や獣さん達がそれ程人を怖がりません。その時も、狸は何度か人の近くへ現れ、やわらかな表情を見せてくれました。
祈り合わせが終わり、その後、夜遅くまでこころの架け橋の打合せが行われました。昼間見た狸のまなざしを想い、人は他の命を摂取しなければ自らの命を保つ事が出来ないのだろうか?その様な話しを尋ねてみました。その結論は別として、命を頂くという事が命の尊さを知る事に繋がる、それだけは確かなようです。
御苑のたぬきさん、もうひとりは森でお休み中です・・・

東屋にて・・・
