先日、12月19日に葛西臨海公園で祈り合わせをした際に、伝えられた言葉を掲載いたしましたが、その言葉の私なりの解釈をこの度掲載させていただきます。
あくまでも参考としていただけますと幸いです。
<伝えられた言葉の解釈>
未来というものを、個人や、人間という種だけの視野で考えるのではなく、自然や地球、そして、人々のことを考えて創ってゆくことができれば、人間は、自然や地球と共に生きてゆくことができると伝えています。
自分以外の存在すべてを受け入れるということではなく、ただ、存在すると認めるだけでも、大きく変わってくる。
人の子として生まれたということ、人の子として生きてゆくことは、大切であり、この星に生きる人の子としての役目として、この地球と共に、自然と共に歩んでゆくこということがあると伝えていました。
生きてるものは、様々な意味で繋がっています。
地球と共にあるということは、多くの命と生きてゆくということを意味しています。
一つ一つ繋がっている。それは、常に伝えてきていることです。
繋がっているという意味から、人の子は孤立した存在ではありません。
繋がりがあってこの世に生まれてきているし、生きているということもまた、多くの命に支えられている、多くの命と繋がっているといえます。
命の繋がりは、個という、個人や一つの命という小さな括りが発端かもしれません。
しかし、視野を広げて、世界、社会、国や地球といった大きな括り、全体というものは、この発端の小さな個の集まrり、集合体であり、小さなものの集まりというのは、大きなものを創ることが出来ることを意味します。
この枠、自分と他を区別する感覚は、区別するという役割もありますが、それだけではなく、自分自身というものを見つめるという役割も持っています。
自分と他とを区別することで、相手を認識するのですが、それは、区別し認識するのであって、孤立するという意味ではありません。
人と人もそうですが、人は、自然や地球とも近寄ることができます。
実際の身体の手を繋ぐこと、そして、心と心を繋げることも人間には出来ると伝えています。
それぞれ、善き未来というものがどのような考えでどのようなことをさしているのか、一人一人が考えてゆかないといけない。
大概大きな違いはだろうけれど、人々や愛する人と共に生き行くことを描いているのであろう。
人は、誰かの大切な人である。
人それぞれに、係わる人々がいて、それぞれに、人の繋がりがあります。
自分にとっては普通の付き合いの人でも、自分以外の係わりあいの中で、その人は誰かの大切な人です。
人と人だけでなく、様々な繋がりというものは、大きく広がっているので、孤立することはないということを伝えてきています。
善き未来を思い描き、考え、自分の立場から何か出来ることはないのでしょうか。
また、一人一人は、未来に対しどのように描き、どのような願いを持っていますか。
神からみれば、人々はまだ何も行動を起こしていないのと同じであり、みな傍観者のように事の成り行きを見ているだけと映っているようです。
そして、傍観者として見続けるということは、これから先は出来ませんと伝えています。
そのままでは、未来はないと伝えています。
では、どうしたらよいのかというと、
一人一人、成り行きを見ているだけでなく、小さなことでも構わないので何か行動を起こすことが、出発地点となると伝えています。
未来の為に、何か行動をおこすということは、この地球の一員として生きてゆくこということと一緒で、反対に何もしないということは、すべてのことをぼんやりと、ただ見ているということになります。
そして、そのまま見ているだけでは、何も変わらないということも伝えています。
動き始めた時に、始めて周りが変わる。
それは、子供が歩き始めてだんだんと行動範囲が広がり、見える風景も違ってくることと同じであると伝えています。
人が、その人なりの何か行動を起こすことで、子供が歩んでゆくように少しずつ変化を伴います。
そして、その変化というのは、現実的に周りが変わるということもありますし、心の感じ方が変化するということもあります。
だから、小さな行動でも、続けていって下さい。少しずつ続けて行くことで、大きな歩みへと繋がってゆくからです。
そして、もう一つ。
善き未来を実現させるということは、地球や自然に対しても良い未来となるでしょうが、一番、影響を受けるのは人間達であると伝えています。実現することにより、世の中にとっても、地球にとっても、人間にとっても善きことになるというこを忘れずに、進んでいって欲しいと伝えています。
私が感じた私なりの解釈でございます。
皆様はどのようにお感じになりましたでしょうか。
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<伝えられた言葉の解釈>
未来というものを、個人や、人間という種だけの視野で考えるのではなく、自然や地球、そして、人々のことを考えて創ってゆくことができれば、人間は、自然や地球と共に生きてゆくことができると伝えています。
自分以外の存在すべてを受け入れるということではなく、ただ、存在すると認めるだけでも、大きく変わってくる。
人の子として生まれたということ、人の子として生きてゆくことは、大切であり、この星に生きる人の子としての役目として、この地球と共に、自然と共に歩んでゆくこということがあると伝えていました。
生きてるものは、様々な意味で繋がっています。
地球と共にあるということは、多くの命と生きてゆくということを意味しています。
一つ一つ繋がっている。それは、常に伝えてきていることです。
繋がっているという意味から、人の子は孤立した存在ではありません。
繋がりがあってこの世に生まれてきているし、生きているということもまた、多くの命に支えられている、多くの命と繋がっているといえます。
命の繋がりは、個という、個人や一つの命という小さな括りが発端かもしれません。
しかし、視野を広げて、世界、社会、国や地球といった大きな括り、全体というものは、この発端の小さな個の集まrり、集合体であり、小さなものの集まりというのは、大きなものを創ることが出来ることを意味します。
この枠、自分と他を区別する感覚は、区別するという役割もありますが、それだけではなく、自分自身というものを見つめるという役割も持っています。
自分と他とを区別することで、相手を認識するのですが、それは、区別し認識するのであって、孤立するという意味ではありません。
人と人もそうですが、人は、自然や地球とも近寄ることができます。
実際の身体の手を繋ぐこと、そして、心と心を繋げることも人間には出来ると伝えています。
それぞれ、善き未来というものがどのような考えでどのようなことをさしているのか、一人一人が考えてゆかないといけない。
大概大きな違いはだろうけれど、人々や愛する人と共に生き行くことを描いているのであろう。
人は、誰かの大切な人である。
人それぞれに、係わる人々がいて、それぞれに、人の繋がりがあります。
自分にとっては普通の付き合いの人でも、自分以外の係わりあいの中で、その人は誰かの大切な人です。
人と人だけでなく、様々な繋がりというものは、大きく広がっているので、孤立することはないということを伝えてきています。
善き未来を思い描き、考え、自分の立場から何か出来ることはないのでしょうか。
また、一人一人は、未来に対しどのように描き、どのような願いを持っていますか。
神からみれば、人々はまだ何も行動を起こしていないのと同じであり、みな傍観者のように事の成り行きを見ているだけと映っているようです。
そして、傍観者として見続けるということは、これから先は出来ませんと伝えています。
そのままでは、未来はないと伝えています。
では、どうしたらよいのかというと、
一人一人、成り行きを見ているだけでなく、小さなことでも構わないので何か行動を起こすことが、出発地点となると伝えています。
未来の為に、何か行動をおこすということは、この地球の一員として生きてゆくこということと一緒で、反対に何もしないということは、すべてのことをぼんやりと、ただ見ているということになります。
そして、そのまま見ているだけでは、何も変わらないということも伝えています。
動き始めた時に、始めて周りが変わる。
それは、子供が歩き始めてだんだんと行動範囲が広がり、見える風景も違ってくることと同じであると伝えています。
人が、その人なりの何か行動を起こすことで、子供が歩んでゆくように少しずつ変化を伴います。
そして、その変化というのは、現実的に周りが変わるということもありますし、心の感じ方が変化するということもあります。
だから、小さな行動でも、続けていって下さい。少しずつ続けて行くことで、大きな歩みへと繋がってゆくからです。
そして、もう一つ。
善き未来を実現させるということは、地球や自然に対しても良い未来となるでしょうが、一番、影響を受けるのは人間達であると伝えています。実現することにより、世の中にとっても、地球にとっても、人間にとっても善きことになるというこを忘れずに、進んでいって欲しいと伝えています。
私が感じた私なりの解釈でございます。
皆様はどのようにお感じになりましたでしょうか。
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