皆様に御礼申し上げます [ 比嘉良丸さんより ]
この度は祈りへの呼びかけに応じて、多くの方々にご参加頂きまして誠に有難うございました。さらに、多くの方より貴重なご意見を頂きました。こちらも真摯に受け止め、また感謝いたしております。
引き続き、27日、28日の祈りへのご参加頂けますようお願い申し上げます。
ここで、地震や自然災害に対する私の理解について記しておきたいと思います。
ひとつは、自然災害は、決して神の裁きで起こるものではないということ。
ひとつは、自然災害は、人間の悪想念が引き起こすものではない、ということ。
神の裁きではないということは、自然災害とは、母なる大地が生きている証であり、大地の鼓動であり、自然の循環であるということです。地球は生きています。地震・噴火・台風などは、それが起こることによって、新しい命を生み出すために必要な現象なです。ゆえに、それは人間の悪想念が起こすものでなく、自然の仕組みなのです。台風は、枯れた老木を倒し、若い樹が育つ場を作り、害虫を吹き飛ばし、また、大雨によっては枯れた水源を潤し、それによって豊かな土壌を作り、多くの命を生み出します。
確かに、神が泣いておられるのを私は感じます。それは、自然が命を組みなおすための仕組みとはいえ、地震や台風などによって、多くの命が失われることに対する嘆きなのです。
私は、沖縄の聖地の自然の中で祈る人を見るとき、その人を取り巻く周りの自然が慈しみを持って優しくその人を包むエネルギーをいつも感じています。そのような神・自然が、裁きをくだすという考えは私にはありません。
しかし、地球が生きている以上、地震や津波などの自然災害は、必ず起こります。それを無くすことはできません。それはまた、今起こらなくても、いつどこで起きてもおかしくはありません。私は祈りの呼びかけによって、事が起きたときに、被害が少なくすむよう、心構えや準備ができるよう、また最善の対応ができるよう多くの方に意識を高めて頂きたいと思っているのです。また、例えば地震が起きたとき、怖いのは原子力発電所の臨界事故など、人災が起こると被害がさらに甚大なものになってしまうこと、そういう時代に、そういう国に生きていることについて、きちんと考えて頂きたいと思っているのです。
私は、今回の呼びかけで啓示を公表することに対して、相当悩みました。さまざまな意見が出るであろうということは分かっていました。それで、これまで長い間、直接啓示の内容を公表することは意識して避けてきました。あえて公表したのには、私なりに考えがあってのことです。
私はかつて、地震鎮静の祈り、または災害を治める神事などは、黙々とひとりで行っていました。神業、神事の世界は、常識の通じない世界であり、複雑で理解の難しいところが多くあります。世間に公表せず、ひとりで行っていたのは、よけいな誤解を招くことを怖れてのことでもありました。
しかし、1997年夏、神からこのようなメッセージを頂いたのです。
「私の話すことを世間の人々に広く伝えなさい。ただしあなたは予言者ではありません。この世に、あなたが伝えたとおりの災いが事起こることがあれば、世間の人々はあなたを予言者として讃えるでしょう。しかし、私はあなたを認めません。一方難を防ぐことができ、災いが起こらなければ、世間の人々はあなたを嘘つき、狂人、世を騒がせるだけの者として、罵倒するでしょう。しかし、私はあなたを認めます。
もし災いが起きたときには、あなたは、自分の信念、実行が足りなかったことを、そしてその罪の深さを知りなさい。私は、あなたに、大難を小難に、無難になしえることを伝え、指示します」
私はこのメッセージを聞きながらも、公表することをためらっていました。理由は、いたずらに世間を騒がせたくない、非難を受けることの煩わしさがあったからです。しかし、拒む私に神は再三にわたってメッセージを続けました。
「なぜ、啓示で見たまま聞いたままをきちんと世間に伝えないのか?」
神は、一部の者たちの霊的な力よりも、より多くの人々の真心の力を求めているのです。それをきちんと公表して、多くの人々がそれぞれ個人の生きる意味、そして本当の大切なもの、愛するものを、そして必要なもの、必要でないもの、よいもの、わるいもの、を深く自分に問いかけて人間としての気づきを得ること。心眼を開くことで、神・自然・祖先・人の心の調和をなしえて、初めてまことの良き未来・みろくの世を作ることができます。
みろくの世は、一部の能力を持った人間がなしえるものではない。三次元に住むすべての人々が自然の一部として生きる自覚を持ち、それぞれの仕事、生活、価値観すべてが噛み合うこと。そして心の調和と真心の力、そしてひとりひとりが3次元に根を張って、心で4次元(神・祖先の霊の世界)を意識し、3次元と4次元が噛み合って初めて無限の力が働く。そのことをこそ神は望んでいるのです。
以上の意味を踏まえてようやく、今回、公表に至ったわけです。
次に記すのは平成18年1月15日 午8時の祈りのときに降りてきた啓示です。天災、人災のみならず、政治、宗教、教育、文化あらゆる方面を含んでのメッセージとして受け取って頂いても良いと思います。
「悪の根源には悪をもって花を咲かせ
善をもって実となし その実を収穫せよ
収穫した実を龍の国の隅々まで行き渡らせよ
その実が後に種となり、根を張り、やがて芽を吹き
新たな善の樹へと育つだろう」
どうか皆様それぞれに、この意味を考えて頂きたいと思い出す。そしてぜひご意見をお聞かせ下さい。
頂いたご意見を真摯に受け止め、今後の祈りの場で活かしていきたいと思っております。
続けまして、27日、28日の祈りへのご参加頂けますようよろしくお願い申し上げます。
大国みろく大社 比嘉良丸
平成18年1月16日
最終更新日 2006年01月16日 08時27分18秒
この度は祈りへの呼びかけに応じて、多くの方々にご参加頂きまして誠に有難うございました。さらに、多くの方より貴重なご意見を頂きました。こちらも真摯に受け止め、また感謝いたしております。
引き続き、27日、28日の祈りへのご参加頂けますようお願い申し上げます。
ここで、地震や自然災害に対する私の理解について記しておきたいと思います。
ひとつは、自然災害は、決して神の裁きで起こるものではないということ。
ひとつは、自然災害は、人間の悪想念が引き起こすものではない、ということ。
神の裁きではないということは、自然災害とは、母なる大地が生きている証であり、大地の鼓動であり、自然の循環であるということです。地球は生きています。地震・噴火・台風などは、それが起こることによって、新しい命を生み出すために必要な現象なです。ゆえに、それは人間の悪想念が起こすものでなく、自然の仕組みなのです。台風は、枯れた老木を倒し、若い樹が育つ場を作り、害虫を吹き飛ばし、また、大雨によっては枯れた水源を潤し、それによって豊かな土壌を作り、多くの命を生み出します。
確かに、神が泣いておられるのを私は感じます。それは、自然が命を組みなおすための仕組みとはいえ、地震や台風などによって、多くの命が失われることに対する嘆きなのです。
私は、沖縄の聖地の自然の中で祈る人を見るとき、その人を取り巻く周りの自然が慈しみを持って優しくその人を包むエネルギーをいつも感じています。そのような神・自然が、裁きをくだすという考えは私にはありません。
しかし、地球が生きている以上、地震や津波などの自然災害は、必ず起こります。それを無くすことはできません。それはまた、今起こらなくても、いつどこで起きてもおかしくはありません。私は祈りの呼びかけによって、事が起きたときに、被害が少なくすむよう、心構えや準備ができるよう、また最善の対応ができるよう多くの方に意識を高めて頂きたいと思っているのです。また、例えば地震が起きたとき、怖いのは原子力発電所の臨界事故など、人災が起こると被害がさらに甚大なものになってしまうこと、そういう時代に、そういう国に生きていることについて、きちんと考えて頂きたいと思っているのです。
私は、今回の呼びかけで啓示を公表することに対して、相当悩みました。さまざまな意見が出るであろうということは分かっていました。それで、これまで長い間、直接啓示の内容を公表することは意識して避けてきました。あえて公表したのには、私なりに考えがあってのことです。
私はかつて、地震鎮静の祈り、または災害を治める神事などは、黙々とひとりで行っていました。神業、神事の世界は、常識の通じない世界であり、複雑で理解の難しいところが多くあります。世間に公表せず、ひとりで行っていたのは、よけいな誤解を招くことを怖れてのことでもありました。
しかし、1997年夏、神からこのようなメッセージを頂いたのです。
「私の話すことを世間の人々に広く伝えなさい。ただしあなたは予言者ではありません。この世に、あなたが伝えたとおりの災いが事起こることがあれば、世間の人々はあなたを予言者として讃えるでしょう。しかし、私はあなたを認めません。一方難を防ぐことができ、災いが起こらなければ、世間の人々はあなたを嘘つき、狂人、世を騒がせるだけの者として、罵倒するでしょう。しかし、私はあなたを認めます。
もし災いが起きたときには、あなたは、自分の信念、実行が足りなかったことを、そしてその罪の深さを知りなさい。私は、あなたに、大難を小難に、無難になしえることを伝え、指示します」
私はこのメッセージを聞きながらも、公表することをためらっていました。理由は、いたずらに世間を騒がせたくない、非難を受けることの煩わしさがあったからです。しかし、拒む私に神は再三にわたってメッセージを続けました。
「なぜ、啓示で見たまま聞いたままをきちんと世間に伝えないのか?」
神は、一部の者たちの霊的な力よりも、より多くの人々の真心の力を求めているのです。それをきちんと公表して、多くの人々がそれぞれ個人の生きる意味、そして本当の大切なもの、愛するものを、そして必要なもの、必要でないもの、よいもの、わるいもの、を深く自分に問いかけて人間としての気づきを得ること。心眼を開くことで、神・自然・祖先・人の心の調和をなしえて、初めてまことの良き未来・みろくの世を作ることができます。
みろくの世は、一部の能力を持った人間がなしえるものではない。三次元に住むすべての人々が自然の一部として生きる自覚を持ち、それぞれの仕事、生活、価値観すべてが噛み合うこと。そして心の調和と真心の力、そしてひとりひとりが3次元に根を張って、心で4次元(神・祖先の霊の世界)を意識し、3次元と4次元が噛み合って初めて無限の力が働く。そのことをこそ神は望んでいるのです。
以上の意味を踏まえてようやく、今回、公表に至ったわけです。
次に記すのは平成18年1月15日 午8時の祈りのときに降りてきた啓示です。天災、人災のみならず、政治、宗教、教育、文化あらゆる方面を含んでのメッセージとして受け取って頂いても良いと思います。
「悪の根源には悪をもって花を咲かせ
善をもって実となし その実を収穫せよ
収穫した実を龍の国の隅々まで行き渡らせよ
その実が後に種となり、根を張り、やがて芽を吹き
新たな善の樹へと育つだろう」
どうか皆様それぞれに、この意味を考えて頂きたいと思い出す。そしてぜひご意見をお聞かせ下さい。
頂いたご意見を真摯に受け止め、今後の祈りの場で活かしていきたいと思っております。
続けまして、27日、28日の祈りへのご参加頂けますようよろしくお願い申し上げます。
大国みろく大社 比嘉良丸
平成18年1月16日
最終更新日 2006年01月16日 08時27分18秒