私は心から、沖縄と富士での儀式は、火の儀式では無く、水の儀式を望みました。
その意味は、命を生み出し、育み、命を愛しむことを願い祈りを行う上で、水こそ命そのもので、魂の鏡・魂そのものであると思うからです。
沖縄での火の儀式は、雨のためにバラの花の儀式に変更になりましたが、そのときにマヤの神官ドン・アレハンドロが語った言葉があります。
「火の儀式を行う時雨が降ることは、とても 良い出来事です。
それは、喜び、幸せ、命を与えくださること。バラの花の儀式は、この大地に、人々に祝福を与えくださるのだ」と。

ではここで、その一連のご神事に内容を記します。
春分に先だち日本列島の東側を巡って、富士のふもとの人穴に結びのご神事を行いました。
その後、沖縄の西側にて結びの御神事を行いました。これで東と西を結ぶ意味になります。
続けて3月10日に、沖縄の東側でマヤの神官とご神事をしました。
朝日を見ながらのご神事の予定でしたが、あいにく雲が多く、しかし太陽は少し顔をのぞかせてくれました。
その後、昼に火の儀式となりましたが、雨が降り、バラの花の儀式に変更となりました。

日本の東側のご神事では、青森から北海道に入る前日に啓示が降り、それに従って突然妻を呼び寄せ、北海道では二人でのご神事となりました。私と妻はともにネズミ歳生まれです。子歳は方位でいえば北。北海道は北極と南極の氷河、永久凍土に見立てています。
私は大気、妻は海流を象徴し、天と地の対極の型となります。ふたりで神事をすることで、対極のバランスをとる意味になります。   
次に三重県の二見ヶ浦で火の儀式に参加して、後に日本列島の西側を巡って祈り、20日の春分の日には、富士のふもとの人穴でマヤの神官とのご神事をしました。
この日は雨、風そして雪にも見舞われ、その午後の儀式は、沖縄のときと同じくバラ花の儀式になりました。
なぜ沖縄の東と春分の最後の日でのご神事が夜を徹してのご神事となり、マヤの神官へと祈りを繋ぐのか。それは、潮の満ち引き、干潮・満潮と、月の動きを意識してのことです。干潮時と満潮時に合わせた祈りを、一日通して繋ぐために、干潮となる夜から満潮を迎える朝まで、夜を徹しての祈りを行い、マヤ神官の祈りへと続けたのです。
太陽が東から昇り、西へ沈み、再び東から昇るように。この流れが永遠に変わらないように続いていくことを願って。
日本の東側を巡って、沖縄の西側と結び、今度は沖縄の東側へ。そこから又日本の西側を巡って、富士の人穴でご神事となったわけですが、実際は今後まだご神事は続いていきます。

20日の人穴のご神事に繋げるため、今度は4月5日には沖縄の東側、六つの島と湾、中城湾の久高島、津堅島、金武湾の浜比嘉島宮城島、伊計島、中城湾、金武湾のリーフ外の外海、湾内の内海にて祈り、金武岬辺野古の沖合いで、船を出してのご神事となります。
次に西側の万座毛の岸壁の大きな洞窟内に入り、普段は海の中にあってこの時期に入ることの出来る場所、幾つかの場所を巡ります。

万座毛には、潮満つ・潮引きを表している山のある鍾乳洞があります。それらは、海の父神・母神を表したり、通常時は海の中にあることから、月や女性の羊水の働きもあり、それらにもたとえています。

万座毛を終えたら、一度、それまでの祈りを私共の宮に結びます。
改めて、沖縄でのご神事がその一連の続きとして琉球列島でのご神事、琉球を東西南北に分けてのご神事となります。
北を昔の琉球列島に例えて、北琉球列島、奄美諸島を。
南を南琉球列島として、宮古島・八重山・与那国島・先島諸島を。
東側として、北大東、南大東を、西側として久米島・慶良間諸島を。
そして中央である沖縄本島へと神結びが続いていきます。

では、私が今回のご神事を行う際の、祈りと願いの意味について記します。

「例え、どんな天変地異が起りこの大地が幾つに裂けようとも、この地上が闇に包まれようとも、又どんな困難がおとずれようとも、必ず又太陽が東から上がり西へ沈み、西から東へまた地球の裏側を廻って再び東から太陽が上がり、変わらぬ日の巡りによって太陽光がこの地球上の全て地上に降り注ぎ、月もこれまでと同じように、地球のまわりを巡っては水に海に濁りのない命を与え、生命の仕組みをつくり、その太陽と月の働きによって大地に山々に地上に雨を降らし、 林を森を育み地球上を覆い隠すくらいに緑を育て、海、山、森、野川、自然界の仕組み、地球の北極及び北極圏には氷河と永久氷土に包まれた大地を維持し、 南極は氷河に包まれ、それが又、海の中に血管のようにに海流を張り巡らせて、海に命を与え、地球上に大気を作り出し、地上に命を与えてくれるように、何よりもこの太陽系が、太陽を中心に星々が一分一厘の狂いも無く廻り、命の仕組みが働き、地球の自転・公転は狂い無く、全ての生命が生き続けるよう、人類自ら気付き、人類自ら未来を作り出し、生命溢れる星であり続けますように」

そう祈り願いました。
マヤ神官と共に行った私のご神事は、これからも続きます。終わりはありません。

御神事を行う際には、その度に本当にいろんな意味を持たせて行っています。
神代の時代からの争いは、宗教争いや人の権力争いに反映され、これは第二次大戦や近年の米ソの冷戦に代表される代理戦争につながり、このため生まれた因果因縁・ 恨み怨念などを清め、浄化するための祈りや、政治・経済に絡む様々な祈り・神事を行っています。

もう一つ、また別の角度からご神事の意味について書きますと、マヤの予言に、
「5200年周期で一つ時代と文明が終わり、又新たな文明が始まる時、地球上が闇に包まれ、又太陽光が地上に射す時、 太陽が東から上がり西に沈むとは限らない」とありますが、それは私自身に降りた啓示にも似ています。

私は、さまざまの仕組みをし、また意味を持たせて、ご神事を続けています。
日本列島を北海道から九州まで東西に分けて、海、川、野、山、火山、湾や入り江、河口、岬、崎、湖、源流、それから水、火、風、太陽、月、星、に祈り捧げてきました。

2月22日から3月6日まで日本列島の東側を廻って祈り、8日には沖縄の西側になるチービシ、三つの無人島、慶良間諸島、島々と竜宮神と結び、10日にドン・アレハンドロとの祈りを、東にあたる伊計島でのご神事として行いました。
その際に私と妻は、現地伊計島にて9日の23時から祈り始め、朝6時まで続けており、一緒に祈りました女性達は、私どもの宮にて夜中に祈りをしておりました。
明けて朝の日の出の時刻に合わせ、マヤ神官ドン・アレハンドロを迎えて、彼に祈りを引き継いで頂きました。
あとに浅野瑞穂さんとお弟子さんに舞って頂きました。     
その日の昼は、ドンによる火の儀式の予定でしたが、雨が降ったためにバラの花の儀式に変更となりました。
翌日、ドンは三重県に向かいました。
一方私は、東京から御殿場に入り、車を借りてまずは三重県の二見ヶ浦に向かい、 12日の朝、日の出の祈りと火の儀式に参加したあとに、日本列島の西側を、日本海側から九州、四国と祈りをして廻り、19日の22時に女性が中心となり本栖湖で祈りを始め、田貫湖に移り、夜明け前まで祈り、そこから人穴神社に移動し、20日・春分の日の朝6時過ぎにはマヤ神官ドン・アレハンドロを迎えて、共に祈りをして頂きました。
その際に、私の妻が祈ったあと、桑名晴子さんに歌って頂きました。
そのあと、ドン・アレハンドロより御言葉を頂きました。
場所を移動し、富士聖地でドンを迎えての催しに参加、続けて午後の朝霧ジャンボリーでの火の儀式の予定でしたがまたもや雨のため、バラの花の儀式に変更となりました。
その儀式の最後に、マヤ神官ドン・アレハンドロから、ククルカンの紋章を頂きました。
本当に嬉しい出来事でしたが、同時に責任の重みを凄く感じました。
今も、本州でのご神事は続いております。

これまでに、マヤの暦と予言については、いろんな本が出ましたが、ドン・アレハンドロは言ってました。
これまで本は間違った内容を書き、間違った内容を伝えている、と。
だから今回は、直接伝えに来た、と。
今回浅川先生が常にお供して廻り、儀式や祈りを実際に見て、ドンアレハンドロ本人から直接話を聞き、本当に正しい内容を知ることができたと聞いています。
いずれ浅川先生が、本という形でそれを世の中に伝えてくださると思います。




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最終更新日 2008年04月04日 09時56分01秒