先日、台湾にての御神事から、帰ってきました。
4月の御神事の際の、青森、北海道、関東、ならびに台湾と、ご協力くださいました方々、ご支援くださいました方々本当にありがとうございました。
台湾の御神事にて私自身が受けました啓示は、まだ、お知らせするには内容がかたまっておらず、一区切りつきました時にお話しようと思います。
ですが、今回青森から台湾まで、妻に降りました啓示は、一連の流れになっておりました。ここには、一部抜粋して書きたいと思います。
**********************
4月17日 12:08(岩木山を望む見晴らし場にて)
これ、ここにいるものらに 伝えもうす
しっかりと、耳を聞け ゆうものは言わせてもらうぞ
よく この 道を通ったものである
いつもの たいじん(出雲の大陣) オキクルミ
杖にぼうをまきちらし ひとはな咲かすよう 言い聞かせ
行く道 探すも それはなく
ついに まかせて このみやに参った
しかし このみやは せまく 遠きしこの地より らんぶんも かかりしものへは とおらぬし
とどかぬ
聞かせようにも この地にては まずはむりと ここをさりもうした
しかし これによっては また ごじつ あらそいが はじまることとなりもうしたが
先日 それを ゆるすことと しもうした
しかし ここからが 大切なのであり ゆるすことでは まだ つながりができてはおらぬ
ゆうなれば せんじんを切って このちに参りもうした わがしかくたちであるが ここより先に埋没するものも多く そうやって 行く道を あらたむることには したくはなし しかと この耳で聞こえ申したのは これらが 嫌であるということであった
とうじ われらは いくさばかりでなくは ならず しかし この声には聞けなんだ
ゆえに おなご 子らも 倒して 行く道を広げ行きもうしたが こうやって 先陣を行き行くことが我らの役目であったことも 知らぬものも多く
我は知っておるがのう
そうやって 行く道を 改めてはならぬのじゃ
広く 待ちに待つものを 遠き地に置き去りにしているものも
皆が 我が友とし そうやって 行く道をあらたむることは なんびともしてはならぬのじゃ
遠き地に追いやったものも そおやって 行く道を塞がれた者らも 行く道 じかんの先にある
みずからが到達したいと願う道 祈りは 一緒であるのだから みんなが手を取り合って 行く道を広げて行かねばならぬのである
地震が来るぞ よきみちが塞ぎようとしており このままでは いばらぎ とおかい これらが 広き地にわたり 揺らぐこととなりもうしておる
しかし 行く道は塞がれようとしておるがのう どういたすか そなたらが 行く道を開け広げてゆくのであるならば しっかりと 根を生やして 歩んでいってほしいのである
われらが おこないもうした 広げ行く道ではなく しっかりと 根元をおろし行くことが先決であり そこには 祈るものが多くおる
そうやって そのもの達 そちらが行く道を広げてゆくのであれば問題はなし しかし そうやらないで広げて進んで 侵略してしてゆくのでは何も生まないのじゃ
我が命が ここにありゆる限りは このものらを どうして 命を守ろうぞ
しかし 記憶のさががとけてからでは 遅すぎるのである
ゆっくりとは どのようなものなのか しっかりと根を生やしゆくには まずは時間がかかってゆく
そうやってゆくのは 焦らずにしなければならぬのは われらはようく知っている
しかし そこからが 先決である 大事ということだ
皆が手をとり 歩むのであれば 時間は刻々と進み ゆっくりのなかでも 事は早めに進んでいくであろう
しかし そうやって出来ぬのが難点であり そうやって つくられた道は危うしものが多きし
そののち 我がみたまが続いていた道が完成してしまう しかし これは ならぬのである
ゆえに しっかりと常に身をもって感じながら進んでいって欲しいのであるがのう
つるむらさき うるむらさき むらさきのものとは そうゆう先陣を切っていたものの総称であるのじゃ
むらさきとは そものの衣をさすではなし すぐ先に行きよる者でありゆる
そうやって 進んでいくことにて それは多くの者を命をとりもうしてきた
しっかりと進んでいきなさい そうやって 先陣を切りすぎてはならない われらのようになってはいけないのである
しっかりと 地元をたがやして 受け入れることを先決とし そうやって いくことこそ 我らが わしが望んできたことであったが
しかし それは みんなに伝うることができなんだ
地元をしっかりとして欲しい わしが そうゆうふうにしたのだから わしがした残り火や種は残っておる
しかし それは発芽してはいけない しっかりと土に埋めてやってくれ
埋める 埋めることで 大地と土地とをしっかりと結んでいくことにて わが達成されし命(めい)が広がってゆく
力強くあってほしい この言葉もせんじんには伝わらず 難しいことになってしまったが どうやらここで終わりがきたようだ しっかりと根付いてやって欲しい
そこから われが 息吹を与えることにより この気が大きく成長して行くことにて われが 思うておることが地につもりゆく
そこから 地をたがやし 地に育つた作物を食するものらが また われの意向を身体にいれてゆくことになり われが願ったことが 広がってゆくことになるのだ
だから どうしてもそうゆう風にして欲しかった だから こうゆう風にしてしまったのだが もうしわけない
しっかりと しんでん を建てておくれ しんでん には作物がおおく実り そおやってゆく土地が広がってゆきし
しかし それは 一軒の家をさすのではない
一軒の家ではなし そこから広がる広大な我がやしろ ここから見えているすべての土地が我がやしろである
一軒の家をつくるのではないのじゃ
間違ってはいけない 広げられていく土地はやしろそのものであり そこには 我らが先人のものらや そこより授かったもの達
そおやって育みし いきしものたちが 見守られていく 数々の神々
そこに 我が命もなぞるとして そのようにし 思い 深き大地を愛していってほしいのじゃ
だから こうやって たかみにのぼって 我はじっと待っていた しっかりとしてくれ
それが 我の いちの願いであり ゆいたい事であった
***********************
全体の流れに沿っての啓示につきましては、ブログの啓示版に掲載してゆきます(http://www1.rocketbbs.com/311/yuki1977.html)
また、今回台湾にて御神事をしてまいりましたが、御神事の流れから、再度、夏至の前に台湾へいくこととなりました。ご連絡しておきます。
最終更新日 2008年06月02日 09時31分16秒
4月の御神事の際の、青森、北海道、関東、ならびに台湾と、ご協力くださいました方々、ご支援くださいました方々本当にありがとうございました。
台湾の御神事にて私自身が受けました啓示は、まだ、お知らせするには内容がかたまっておらず、一区切りつきました時にお話しようと思います。
ですが、今回青森から台湾まで、妻に降りました啓示は、一連の流れになっておりました。ここには、一部抜粋して書きたいと思います。
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4月17日 12:08(岩木山を望む見晴らし場にて)
これ、ここにいるものらに 伝えもうす
しっかりと、耳を聞け ゆうものは言わせてもらうぞ
よく この 道を通ったものである
いつもの たいじん(出雲の大陣) オキクルミ
杖にぼうをまきちらし ひとはな咲かすよう 言い聞かせ
行く道 探すも それはなく
ついに まかせて このみやに参った
しかし このみやは せまく 遠きしこの地より らんぶんも かかりしものへは とおらぬし
とどかぬ
聞かせようにも この地にては まずはむりと ここをさりもうした
しかし これによっては また ごじつ あらそいが はじまることとなりもうしたが
先日 それを ゆるすことと しもうした
しかし ここからが 大切なのであり ゆるすことでは まだ つながりができてはおらぬ
ゆうなれば せんじんを切って このちに参りもうした わがしかくたちであるが ここより先に埋没するものも多く そうやって 行く道を あらたむることには したくはなし しかと この耳で聞こえ申したのは これらが 嫌であるということであった
とうじ われらは いくさばかりでなくは ならず しかし この声には聞けなんだ
ゆえに おなご 子らも 倒して 行く道を広げ行きもうしたが こうやって 先陣を行き行くことが我らの役目であったことも 知らぬものも多く
我は知っておるがのう
そうやって 行く道を 改めてはならぬのじゃ
広く 待ちに待つものを 遠き地に置き去りにしているものも
皆が 我が友とし そうやって 行く道をあらたむることは なんびともしてはならぬのじゃ
遠き地に追いやったものも そおやって 行く道を塞がれた者らも 行く道 じかんの先にある
みずからが到達したいと願う道 祈りは 一緒であるのだから みんなが手を取り合って 行く道を広げて行かねばならぬのである
地震が来るぞ よきみちが塞ぎようとしており このままでは いばらぎ とおかい これらが 広き地にわたり 揺らぐこととなりもうしておる
しかし 行く道は塞がれようとしておるがのう どういたすか そなたらが 行く道を開け広げてゆくのであるならば しっかりと 根を生やして 歩んでいってほしいのである
われらが おこないもうした 広げ行く道ではなく しっかりと 根元をおろし行くことが先決であり そこには 祈るものが多くおる
そうやって そのもの達 そちらが行く道を広げてゆくのであれば問題はなし しかし そうやらないで広げて進んで 侵略してしてゆくのでは何も生まないのじゃ
我が命が ここにありゆる限りは このものらを どうして 命を守ろうぞ
しかし 記憶のさががとけてからでは 遅すぎるのである
ゆっくりとは どのようなものなのか しっかりと根を生やしゆくには まずは時間がかかってゆく
そうやってゆくのは 焦らずにしなければならぬのは われらはようく知っている
しかし そこからが 先決である 大事ということだ
皆が手をとり 歩むのであれば 時間は刻々と進み ゆっくりのなかでも 事は早めに進んでいくであろう
しかし そうやって出来ぬのが難点であり そうやって つくられた道は危うしものが多きし
そののち 我がみたまが続いていた道が完成してしまう しかし これは ならぬのである
ゆえに しっかりと常に身をもって感じながら進んでいって欲しいのであるがのう
つるむらさき うるむらさき むらさきのものとは そうゆう先陣を切っていたものの総称であるのじゃ
むらさきとは そものの衣をさすではなし すぐ先に行きよる者でありゆる
そうやって 進んでいくことにて それは多くの者を命をとりもうしてきた
しっかりと進んでいきなさい そうやって 先陣を切りすぎてはならない われらのようになってはいけないのである
しっかりと 地元をたがやして 受け入れることを先決とし そうやって いくことこそ 我らが わしが望んできたことであったが
しかし それは みんなに伝うることができなんだ
地元をしっかりとして欲しい わしが そうゆうふうにしたのだから わしがした残り火や種は残っておる
しかし それは発芽してはいけない しっかりと土に埋めてやってくれ
埋める 埋めることで 大地と土地とをしっかりと結んでいくことにて わが達成されし命(めい)が広がってゆく
力強くあってほしい この言葉もせんじんには伝わらず 難しいことになってしまったが どうやらここで終わりがきたようだ しっかりと根付いてやって欲しい
そこから われが 息吹を与えることにより この気が大きく成長して行くことにて われが 思うておることが地につもりゆく
そこから 地をたがやし 地に育つた作物を食するものらが また われの意向を身体にいれてゆくことになり われが願ったことが 広がってゆくことになるのだ
だから どうしてもそうゆう風にして欲しかった だから こうゆう風にしてしまったのだが もうしわけない
しっかりと しんでん を建てておくれ しんでん には作物がおおく実り そおやってゆく土地が広がってゆきし
しかし それは 一軒の家をさすのではない
一軒の家ではなし そこから広がる広大な我がやしろ ここから見えているすべての土地が我がやしろである
一軒の家をつくるのではないのじゃ
間違ってはいけない 広げられていく土地はやしろそのものであり そこには 我らが先人のものらや そこより授かったもの達
そおやって育みし いきしものたちが 見守られていく 数々の神々
そこに 我が命もなぞるとして そのようにし 思い 深き大地を愛していってほしいのじゃ
だから こうやって たかみにのぼって 我はじっと待っていた しっかりとしてくれ
それが 我の いちの願いであり ゆいたい事であった
***********************
全体の流れに沿っての啓示につきましては、ブログの啓示版に掲載してゆきます(http://www1.rocketbbs.com/311/yuki1977.html)
また、今回台湾にて御神事をしてまいりましたが、御神事の流れから、再度、夏至の前に台湾へいくこととなりました。ご連絡しておきます。
最終更新日 2008年06月02日 09時31分16秒