新暦7月24日(旧暦 みずのえ 子 先勝)

いつも真心のお力添えありがとうございます。
大国ミロク大社の比嘉良丸、比嘉りかです。

22日よりパラオに入っております。連日の雨模様となり、時には前も見えない程の雨も降る状況で、予定しておりました戦跡を巡ることもままならず、ホテルに缶詰状態になっております。ネット環境も衛星通信という事で簡単なメールを送って掲載してもらいます。

ここパラオは、第一次世界大戦後、敗戦国ドイツから日本がサイパンと同様に領土として引き継ぎ、第二次世界大戦の敗戦までは日本領土として統治していた場所でもあります。また、大戦時には、激戦になった場所でもありますが、中心部のコロールには、その面影は見受けられません。復帰まもない沖縄の時ととてもよく似ていて、懐かしさを感じております。

歴史の中で日本が統治していた国々を日本が弾圧や迫害、強制労働していたというイメージがありますが、実際に、台湾やサイパン、パラオに関しては、日本の前の統治ドイツはインフラ整備は殆ど行われず、労働力を求められていただけであり、台湾では、中国が清の時代には台湾島民を人として認めず、インフラ整備どころか中国として認めてもいなかったという場所でもありました。
そこを日本が統治した際に、教育や町、鉄道、産業、医療などのインフラ整備を行いました。日本が、発展を支えたのは事実であります。
第二次世界大戦の時に、日本の悪い所だけを強調されておりますが、改めてここに来る事で、思い知らされる事がありました。
本来日本の歴史教育では、正しい歴史教育を行わなければいけないと実感しております。
それは良きも悪きも行った事は全て表に出し、本来の日本という国の歴史をきちんと今の若い人々には伝える事が重要であると感じております。

私はパラオは今回初めてですが、サイパン、グアム、韓国 、中国、フィリピンなどを御神事で訪れた際に常に感じる事があります。沖縄でも同様の事を感じますが、この日本が戦争で戦い亡くなった戦没者の一部には、未だ死してもなお戦い続けている御霊があると感じ、思い知らされます。
それは、第二次世界大戦の職業軍人、主力部隊の兵士、将校達の軍人としての強い信念、意識が死してまでも徹底抗戦、最後まで戦い続けるという強い意思を持ったまま戦地で戦死している為、死しても戦うという想念がそまま残っており今もなおその御霊は戦い続けているというのを感じております。

戦時中に赤紙、招集命令で家族と引き離され兵隊として戦地へ送られ亡くなった人達は、国の家族の元へ帰りたい、戻りたいという思いがありますが、そういった御霊は、戦後72年の年月の中、多くの人達の供養の祈りで成仏した人もかなりいます。

こういった激戦地に来ると様々な思い、成仏した御霊、戦い続けている御霊などを感じます。
これらを感じる度に、平和の御神事の難しさと戦争は愚かな事であると深く実感致します。
平和と平穏平安のありがたみを痛感します。

このパラオでは、平和の祈りと供に、伊豆小笠原海溝からのマリアナ海溝、フィリピンプレートと太平洋プレートとの重なりに対して、自然界の動きについての祈りも行います。
自然界は、地球規模の大きな自然の動き、そして日本列島へも大きく影響を与える地殻変動を引き起こす地域でもあります。
そのため、プレートの地震や火山といった自然界の活動に対しての祈りも同時に行っております。
今回の御神事と台湾及びこれまで行ってきた内容を日本に戻って、8月12日頃までにまとめお伝え出来ればと思っております。

このように現地でに御神事が出来ますのも、ご支援くださいます方様のおかげでございます。深く感謝申し上げます。ありがとうございます。
出来るだけまとめまして、行ってきました御神事についてご報告させて頂きます。
これからも平和、平穏、平安の世となるよう、御神事に努めてまいります。

本当にありがとうございます。

比嘉良丸
比嘉りか